明日はもっと君を愛そう(財前×静)

「ふぅ……」
「あれ、財前?」
「え?」
「おお、財前! 久しぶりやな!」
「あらっ、こんなとこで会うなんてえらい偶然やねぇ」
「……ども」
 その日、財前は一人街を出歩いていた。最近気になっている歌手のCDを買いに、行きつけの量販店に赴いていたのだ。やがて買い物を終え、店を出て駅へ引き返す途中、白石を筆頭としたテニス部OB達と遭遇した。
「先輩らは何してはるんですか」
 白石、謙也、千歳、石田、金色と一氏、小石川。揃い踏みしている先輩達の顔を見回しながら、財前は問いかけた。彼らの目的に特に興味があったわけではないけれど、全員が揃っているのは珍しい。何せ皆が皆、個性派だからだ。
 財前の質問に、白石が「部活で使うテニス用品買いに来たんや」となんとも平凡な答えを返してきた。とはいえ、当初の目的を果たした後はたこ焼きの食べ比べや金色達の仮装グッズを見に行ったりとだらだらと歩き回って、今に至るという。やはり高校に上がっても彼らはズレないらしい。

 白石達ももう電車に乗るつもりだったと言うので、一緒に地下鉄を目指す。地下街を抜けて、やがて改札が見えてこようとしたところで、不意に白石が口を開いた。
「そういや、財前。昨日で一年経ったみたいやけど、どうしたんや?」
「は?」
 突飛かつ意味の分からない質問に、財前はぐっと眉を顰める。
「やだ蔵リンたらっ! そんな単刀直入に聞いちゃ教えてくれなくなるわよ」
 財前の表情を見て、金色は白石を軽く諫めたが。
「せや言うても、回りくどく聞いたって『ウザい』って言われて答えてくれへんやろうし」
「それもそうやね」
 とすぐに白石に同調してしまう。
「で、どうやったんや?」 
「何かやったんやろ?」
 それを皮切りに一斉に問いかけてくる一行。だがそもそも何のことを指して騒いでいるのかが財前には分からなかった。
「あの」
「ん?」
「先輩らが何言ってんのかよく分からんのですけど」
 首を傾げた彼に一同は大笑いした。
「またまた~とぼけてもムダやって」
「いや、ほんまに」
「ウソつくのもアカンよ?」
「嘘なんかついてませんけど」
 財前が真顔で否定すると、とうとうざわめき始める。
「……自分、まさか忘れてたんか?!」
「忘れてたって何を?」
「いや……これは忘れてたというより、覚えてないみたいやな」
 白石が苦笑いを浮かべる。
「ダメ……それはダメよ、光!」
「小春ーっ、俺はちゃんと覚えてるで!」
「はは、集中攻撃たいね」
 金色のダメ出しに一氏がドヤ顔をする隣で、千歳が大らかに笑った。
「彼女……広瀬さんと付き合って昨日で一年やろ、財前」
「……あぁ、そうでしたっけ」
 白石に告げられ、そこでようやく気付いた。そう言えば丁度昨日の日付だった気もする。はっきりと覚えていないのは、日付など財前にとって大したことではなかったからだ。静と恋人同士となった事実、そしてこれからも一緒にいたいという気持ちこそ大切にしなければならないと思っている。
 それはさておき、何故この人達は自分達が付き合った日を正確に覚えているのだろうか。そんな疑問をぶつける前に、謙也がずいっと距離を詰めてきた。
「でしたっけ、ってアホか! 女の子っちゅーのはな、記念日を大事にするもんなんや!」
「未だに彼女いない謙也さんにそういうこと語られたくないですわ」
 うっ、と言葉を詰まらせた謙也に同情が集まる。
「でもケンヤ君の言う通りよ、光。付き合って一年ーって、女の子はちゃんと覚えてるもんやで。静ちゃんは何も言ってこなかったの?」
「いや、別に……。っていうか、そう言うのあんま言ってこないんで」
 静は普段こそ意見をはっきり伝えてくれるが、自分相手になると口を噤むことがある。わがまますらほとんど言わない。
 あぁ、それもそうかもなぁ……と納得のため息が辺りを包んだ。
「確かに広瀬さんは言わんやろうなぁ」
「けどそこを汲んであげるのが彼氏の役割やろ」
 広瀬さんは自分みたいな不器用なヤツの気持ち、ちゃんと汲んでくれてるんやから、と真面目な顔の白石に説かれてしまう。
「はぁ……」
「なんや、気のない返事やな」
 謙也が怪訝な顔で呟いた。
「まぁ、財前がそういうこと、あれこれ考えるヤツやないのは知っとるけど……彼女のこと大事なんやったら、こういう時に気持ち伝えとかなと俺は思うぞ」
 小石川の至極全うな意見に、金色が大きく頷く。
「そうそう。静ちゃんはすごいいい子やけど、それに甘えっぱなしなのもアカンよ? ちゃんと愛を確かめ合うのも大事なことやで」
「うむ」
 石田にまで同意されてしまっては、財前はもう反論できない。
「けど……何したらいいか正直分かんないんスわ」
 漏らされた財前の本音に一同はその場で肩を寄せ合う。傍から見たら異様な光景だろう。しかしそんなことなど、彼らには全く問題ない。
「単純に、広瀬さんが好きなものをプレゼントしたらええんちゃうんか?」
「花とか?」
「そんなん俺のガラじゃないですわ」
「ガラでなくてもやるのがサプライズっちゅーもんやろ?」
「サプライズも許容の範囲でお願いします。そもそも、そういうのって中学生のすることちゃうでしょ」
「ワガママやなぁ、財前は……」
「らしくないことしたって、あいつ驚かすだけやろうし」
「喜ぶと思うんやけどなぁ」
 頭を掻く白石。あんたがやるならサマになるでしょうけど、と財前は彼を見ながら心の中でぼやいた。自分がしたところで、静はきっと戸惑うだけだ。
「それならもう、彼女に直接聞いてみるしかないわね! 行ってみたい所あるんやったらそこに連れていってあげるとか!」
 空気を読んだのか、「やったら難易度低いでしょ?」と金色が新たな提案をしてくれた。
「まぁ、それなら……」
 先程の提案に比べたら全然マシだ。静が応えてくれるかは聞いてみないと分からないし、そもそも彼女が記念日を覚えているのかも確かめていないのだが。
「よっしゃ、なら明日、いやもう今からでも連絡して記念日祝わんとな!」
「え……今から、ですか」
「せや、今からや!」
 人の予定でまでスピードスターにならんといて下さい、と冷たいツッコミを入れた財前にお構いもなく、謙也はさぁさぁと肩を叩いてくる。他の皆も謙也の提案に「こういうことは早い方がいい」と乗っかって財前を促した。
 強引どころかこれでは強制的ではないか。財前はそう思う一方で、自分達を心配してくれている彼らを冷たくあしらうことが出来なかった。もしかしたら静への罪悪感が芽生えていたからかもしれない。
 ともかく、その場で静に電話をかけさせられ、二人は学校付近にある公園で逢うことになった。

 三十分後。駅できっちり白石達と別れて、待ち合わせ場所へ向かう。心配だからと付いてこようとしてきた輩も若干名いたが、丁重にお断りした。
「いきなり呼び出して悪いな」
「ううん、大丈夫だよ。でも急にどうしたの?」
 公園のベンチには既に静の姿があった。いつもの調子を装いつつ、彼女の隣に腰を下ろす。
「俺ら、昨日で一年経つやろ」
 どう声をかけようか色々考えたが、上手く話を持っていくだとか、取り繕うことは苦手だった。諦めて、単純に話題を切り出す。
「光くん、覚えてたの?」
 すれば静の目がぱちくりと瞬いた。その様子、そしてこの口ぶり。静が記念日を覚えているのは明確だった。
「いや……さっき先輩らに会って、そこで言われて気付いたんやけど」
「えっ、先輩達が?」
 言いながらバツが悪くて視線を下ろす財前に、静は特段傷ついた素振りは見せなかった。それよりもどうして、と不思議そうな顔で財前を見つめる。
「あの人ら、そういうことは目敏いねん」
「特に金色先輩は」と言い足すと静は納得がいったようだ。先輩らしいね、とくすくす微笑む。その笑顔に、財前も少し気を持ち直した。
「白石部長には花持っていけとか言われたわ。そんなん中学生がやることちゃうって断ったけど」
「お花は……確かに少し恥ずかしいかも」
 言葉通り、恥ずかしげに静は首を捻った。感覚が同じだと知ってほっとする。万が一残念がられても、今の財前には到底できないことだから。
「やったら、どないする」
「えっ?」
「何かあるんやったら聞くで」
「えっと……?」
 困惑の表情を浮かべる静。この話の流れから分からないのだろうか。「自分も大概鈍感やな」とツッコミそうになるのをぐっと飲み込む。
「せやから、どっか行きたいところとかあるなら、一緒に行くって言ってるんやけど。……一年経った記念っちゅーやつ」
 自分こそ、今日白石達に会わなければ、きっと記念日を忘れたままだっただろう。そんなアホな彼氏がおるかい、とツッコまれて、ようやくそうかもしれないと自覚した。なのにこういう時でさえ、財前はぶっきらぼうな言葉しか吐けない。
「でも、そういうの光くん好きじゃないんじゃ……」
 そう思い込んで、静は記念日のことを伏せていたのだろう。予想通りだった。遠慮しすぎる性格の恋人を咎めたくなるけれど、そうさせているのは財前自身にも問題があるのだろう。
「そらあんま好きやないけど、こういう時ぐらいなら別にウザいと思わんから」
 だから言いや、と躊躇する静に今はっきりと告げる。
「じゃあ、その。行きたいところじゃなくて、したいことでも……いい?」
 少しの逡巡後。静が口を開いた。
「……別にええけど。無茶なことやなかったら」
「ぎ、ぎゅってしたいなって……」
 ――ぎゅっ?
 静の言葉に一瞬首を傾げた財前だったが。
「……アホ、何言っとんねん。そんなん今言うことやないやろ」
 下手な場所へデートに行くよりも恥ずかしいお願いに、財前は目を逸らした。
「でも、時々しかしてくれないから……ダメ、かな?」
 食い下がる静。頬を染めて見つめてくるその可愛さに鼓動が跳ね上がった。羞恥心からNOと言いたくなるが、珍しく、本当に珍しくワガママを言ってくれているのだ。ぐっと堪えて、静に問いかけた。
「……そんなんでホンマにええんか?」
「うん」
 即答が返ってきた。
「自分、安上り過ぎるやろ」
「そうかな?」
 照れ笑いする静に、降参するしかないことを知る。
 しゃーない、と自分に言い聞かせた財前は、辺りを見渡して人がいないことを確認してから、そっと手を広げた。
「……ん」
 途端「え、ええっ? 今?」と静は動揺してしまう。
「後回しにするもんちゃうやろ」
「で、でもっ!」
「はよせな、誰か来るで」
「……っ、じ、じゃあ……」
 急かすと慌てて静は距離を詰めてくる。自分から言いだしたことなのに恥ずかしいらしい。おずおずと手を伸ばすものなので、向き合って少し経ってからようやく二人は密着できた。
「……」
「……」
 抱きしめ合ってから、なんでこんな恥ずかしいことを真昼間の外でやっているんだろうか、と頭を抱えそうになったが。
「……ありがとう、光くん」
「え?」
「今、すごい嬉しい。恥ずかしいけれど、光くんとこうやって触れ合えて、すごくすごく……嬉しいの」
 静の嬉しさが滲み出ている声が耳を打つ。きっと真っ赤にしながらも、笑顔になっているのだろう。見えなくても想像できてしまう。
(ほんま、こいつは……)
 こんな些細なことで喜んでしまうなんて、アホみたいに単純で可愛い。
 口元が静への愛しさで緩みそうになる。
「あの、もう十分……ってきゃっ!? 光くん!?」
 離れていきそうになる静の背中をもっと強く抱きしめた。
 こんな顔を見られたくなくて、不甲斐ない自分に求めてきてくれたことをせめてもう少しだけ延長させたくて。
(もっとこいつのこと、大事にしよ……来年はもっと喜ばせたろ)
 静の慌てふためく声を聴きながら、財前は自分に誓うのだった。