バブリー(金太郎×静)

「よいしょ、っと……」
「おーい、マネージャー! ドリンクできたかー?」
 作業を一段落させ、汗を拭っていると頭上から声がかかる。
「うん、たった今」
 顔を上げると、様子を見に来たらしい桃城がそこにいた。静が笑顔で応えると、彼の顔が明るくなる。
「あ、もしかしてドリンク待ちだった?」
「おう! さっきから喉カラカラでよ」
「ふふ、ごめんなさい。すぐ渡すから、ちょっと待って」
 桃城の為に早速ドリンクを汲んでいると、喉を潤そうと他の部員達もぞろぞろとやって来た。
「水分補給がてら、休憩に入るか」――ドリンクを求める部員の多さに、隣の桃城が部長である海堂へ提案をしにその場を離れた。

「皆、張り切ってるね」
 結局最後に回ってしまった桃城へ汲んでいたドリンクを手渡しながら、コート上で休憩を取る部員達を見つめる。
「そりゃ、もうすぐ四天宝寺の奴らと試合あるからな。例え練習試合だとしても負けるわけにはいかねぇな。いかねぇよ」
「……うん。そうだよね」
 ようやく喉を潤した後、桃城がいつもの口調に本気を交えて言葉を紡ぐ。その発言に頼もしさを感じながらも「四天宝寺」の言葉に静は胸の高鳴りを抑えられなかった。
 何故なら四天宝寺中には、遠距離恋愛中の恋人ーー遠山金太郎がいるから。

「そういやさ、金太郎は元気にしてんのか?」
「……えっ?」
 まるで心を見透かされたかのようなタイミングの問いに、一瞬、反応ができなかった。
「なんでそんな驚いてんだよ」
 桃城が怪訝そうに首を傾げる。
「ううん、ちょっとびっくりしちゃって」
「ふーん? で、アイツと連絡取ってるんだろ?」
「うん。この前もその練習試合の件で電話したばっかりだよ。元気そうだった」
 先日、電話越しに聞いた恋人の声――元気そうと形容してもしきれない程の――を思い出しながら、静は桃城へ返事を返す。 
 まぁアイツだもんなぁ、と桃城は笑ってから、
「けど、最初は驚いたぜ。お前が金太郎と付き合ってるって聞いた時は」
「そう、なの?」
「だってよー、あの金太郎だろ? 野生児みたいなヤツが恋愛とかできんのかって思ってたからさ。けど蓋を開けてみれば、お前と付き合ってるし。ま、彼女ができても野生児なのは変わんねーみたいだけど」
「あ、あはは……」
 思わず苦笑いがこぼれる。
 付き合い始めて数か月経つが、まだ扱いに手をこまねくことがあるのは事実だ。
「でも……そこが金太郎くんらしいと思うから」
 破天荒さに振り回されてしまうことは多々あるけれど、それは静の本音だった。
「ほー? それ、ノロケ?」
「え、あ、そんなんじゃ――」
「そういや広瀬に逢う為だけに、しょっちゅう大阪から飛んで来てるもんなぁ? この前だって……」
「……桃城くんっ!」
 にたにたと笑う目に、からかわれているのだと思い、大声で桃城の言葉を遮れば、
「なんだよ、別に恥ずかしがる必要ないんじゃねーの? だって好かれてる証拠だろ?」
 存外、真面目に返されてしまった。

 大阪と東京。東西の長い距離をものともせず、金太郎は時々静に逢いに来る。予告も前兆も無く、突然に。まるで嵐のように。それも一度や二度ではない。
『静に逢いたかったからや!』
 理由を聞けば、金太郎は晴れ晴れとした笑顔でそう答え、そしてぎゅうっと静を抱きしめてくれる。人目をはばかることなどなく。まさに一心不乱に静だけを求めてくれるのだ。
 それは桃城の言う通り「好かれている証拠」だろうし、嬉しくないわけがないけれど。
「それは、そう……だけど……」
 羞恥心が、静の中にある常識が堂々と頷かせてくれない。

「最近来てないから、もしかしたらまた、今日か明日にでもやって来たり――」
 急に言葉を飲み込んだかと思いきや、桃城は後ろを振り向いた。
「……どうしたの?」
「今、金太郎の声、聞こえなかったか?」
 そしてそんなことを言い出す。
「もう、桃城くんってば……からかわないで」
「いや、ほんとに――」
 次の瞬間、静の耳にも地鳴りが届いた。
「……静ーー! 逢いたかったでー!」
「きゃっ…………き、金太郎くん!?」
 姿が見えた、と思った瞬間勢いよく抱き付かれる。息が苦しい。
「すげぇ、俺の予言当たった」
 目の前で抱きしめ合っている二人――否、一方的に静だけが抱きしめられているのを見つめながら、桃城が半笑いで呟く。
 あれ予言だったの――というツッコミをしたくても、金太郎にぎゅうぎゅう抱きしめられているままでは言葉にならなかった。募らせた恋しさの大きさに伴い、抱擁がきつくなるのは金太郎の癖である。
 ……と思っている間も、更に強く抱き寄せられる身体。本当にそろそろ危ない。
「おい、金太郎。そのままだと広瀬が窒息するぞ」
 静の危機を察して、桃城が金太郎に制止をかけた。
「えっ!? だ、大丈夫か静!」
「……う、うん」
 桃城の言葉に慌てて金太郎は静を離した。抱き締めるのも早ければ、解放するのも早い。細腕ながらも逞しい両腕による拘束から解かれて、静はようやくまともに呼吸することができた。
「ってか、毎度のことながら突然だよな」
 慣れたけど、と桃城がからから笑う。
「金太郎くん……今日学校じゃないの?」
 静は羞恥心に酸素不足を伴った真っ赤な顔で、金太郎と向き合う。
「昨日授業があったから、今日は代わりに休みになってん」
「……部活は?」
「オサムちゃんが用事あるからーって練習なくなってもうた。やから静に逢いにいこう思て!」
『思い立ったが吉日』と言わんばかりの金太郎に、そう、と小さく頷きかける静だったが、
「けど再来週、お前らんとこと合同練習するって話だったろ?」
 桃城が二人の会話に割り込んでくる。その言葉に、静もパッと桃城の方へ視線を向けた。
 そう。こうして逢いに来ずとも、もうじき四天宝寺中との合同練習が控えている。先日電話での逢瀬時に、久々の再会を二人で喜んだばかりではないか。
「勿論知っとるで! 久々に逢えるの楽しみにしてるんや!」
「なら、どうして――」
 今ここにいるのか。静の疑問に、金太郎は「待ちきれへんかってん!」と大声で言い放つ。分かってはいたけれど、あまりにもシンプルで、彼らしい答えに静も、そして桃城も苦笑していると、
「それにな、電話で声聴いたら……」
「え?」
「無性に静とチューしたなってん!」
 不意に爆弾が落とされる。
「……は、え……えっ?!」
 大胆かつやはりシンプルな金太郎の発言に、静は勿論、桃城と一部始終を遠巻きに見ていた部員全員が固まる。
「やから静、チューしようや!」
「え、ええっ?」
「なぁなぁ、ええやろ?」
「ちょ、ちょっと待っ……!」
 周りなどお構いなしで――元々金太郎の視界には入っていないのかもしれない――、金太郎は硬直したままの静を引き寄せた。
「だ、ダメだよ金太郎くん! こんなところでっ」
「えー? あかんのん? せやけどワイ、チューしたくてしゃあないねん!」
 その為に逢いに来たと言い出しかねないぐらいの勢いである。
「本当にダメだってば……っ。そんなこと言ってると秘孔を――」
 ぐいぐいと迫りくる恋人に静は身じろぐ中、金太郎を大人しくさせる唯一の方法を思い出す。
 ――しかし。
「こうしたら、秘孔突かれへんやろ?」
「ワイかて考えてきたんやでー」なんて得意気に言いつつ、静の両手をギュッと握り締める。痛みは感じないが、自由に動かせられない。なんとも絶妙な力加減だ。
 静と付き合いだしてから、金太郎は力をコントロール出来るようになった――そんな話を彼の先輩である白石から聞いたことがあるが……今の静にはそれが仇になってしまっている。
「~~っ、桃城くんっ!」
 もがくように、助けを求めたけれど。
「……あー。俺は練習に戻るわ。お前はもうちょっと休憩してていいぜ?」
 そう言って、そそくさと退散していく桃城。

「桃色にーちゃんもあっち行ったから、チューしてもええやろ? なぁなぁ!」
「ま、待って待って……!」
 その背中をただ茫然と見つめる静を急くように、大音量で強請ってくる恋人の声がコート上に響く。このままでは男子テニス部だけでなく、隣の女子テニス部や他の運動部からも注目されるばかり。
 果たして公衆の面前でのキスと、どちらが恥ずかしいだろう。
 どちらにしても、テニス部の面々にからかわれるのは避けられようがないだろうけど。
 ーーああ、もうどうしよう。
「……もう待ちきられへん! 静!」
「えっ、ん……!!」
 究極の選択に悩む静の唇を、金太郎が強引に奪ってしまったので、静の苦悩は一瞬にして泡になり弾けてしまうのだった。