与え合えた幸福(金田×静)

合同学園祭に参加した、あの短い時間。その中で俺が広瀬さんから貰ったもの、助けてもらったことは山ほどあった。
 それに対して、与えられるだけの関係なのが嫌だと思い始めたのはいつからだろう。
 広瀬さんを笑わせたい。喜ばせたい。そう考えるのは簡単で――だけど、まだ果たすことができずにいる。

 *****

「おはよう、金田くん!」
「お、おはよう!」
「今日はどこに行こっか?」
「えっと、そうだな……広瀬さんは行きたい所とか、ある?」
「私? 私は……ちょっと見たい物があるんだけど、付き合ってもらってもいいのかな?」
「う、うん! 勿論だよ」
「ありがとう」
 にこりと微笑んだ広瀬さんの笑顔に、鼓動が跳ねる。それは声の上擦りで彼女にもバレてるはずだ。しかし、広瀬さんは優しい笑みを浮かべながら、俺の隣に並んだ。
 ――クラスメイト以下でも、それ以上でもなかった彼女を知るきっかけとなった、あの夏から1ヶ月。
 それは俺と広瀬さんが、恋人同士になって同等の時間が経ったことも明示していた。
 もう1ヶ月。されど1ヶ月。広瀬さんが傍にいるだけで、自分に向かって笑ってくれるだけで、未だに心臓が持たない程にドキドキする。全然慣れることはなく、想いは募っていくばかりだ。
 右往左往する俺に、部の先輩達は「幸せだな」とからかいの意味も含めて言う。幸せ――確かにそうなんだろう。でも同時に不安だと答えたら、あの人達は首を傾げるかな。

 広瀬さんと付き合い出したからと言って、特別変われたわけじゃない。
 会話を弾ませることも――晴れて恋人同士になってからは尚更――下手だし、デートの場所にしたって喜んでくれそうな所も知らない。
 部活でも、新部長として部をまとめていかないと……という気持ちが空回りしてか、情けないところばかり見られている気がする。カッコイイところを、とまではいかなくともせめて失敗しないように、という願いも今のところ叶っていない。
 けれども、広瀬さんはいつも笑ってくれる。焦らなくていいんだよ、一緒に頑張っていこう、と励ましてくれる。彼女の優しさが嬉しい半面、気を遣わせているかもしれない――そう思う時がある。
 彼女を疑っているわけじゃない。広瀬さんへの気持ちの大きさを感じれば感じるほど、怖くなるのだ。
 貰ってばかりの俺に、まだ何も返せていないこんな自分に、広瀬さんは隣で笑い続けてくれるだろうか。
 支えられた分だけ、嬉しくさせられた分だけ、彼女に感謝と愛しさを添えて与えられるだろうか。
「あっ、いた。待たせてごめんね」
「…………」
「……金田くん?」
 店内を先に抜け出し、そんなことをずっと考えていると沈んでいく気持ちに負けて、無意識に俯いていたらしい。買い物を終えた広瀬さんが戻ってきたのも、数回名前を呼ばれるまで気付かなかった。
「どうしたの?」と訊ねられ、なんでもないと答える為に口を開く。しかし顔を上げた先に見えた彼女の表情に、咄嗟に言葉が出てこなかった。
 広瀬さんの大きな目が、憂いを含んで揺れていたから。
「つまらなかった、かな。ごめんね……あっ! もしかして、調子悪い? だったら――」
「え、あっ。ち、違うんだ! つまらなくも、調子が悪いわけでもなくて、ただ少しっ……」
 喜ばせたいって悩んでも、それが原因でこんな顔させてちゃ、全然だめじゃないか。
 自分を叱咤し、慌てて首を振った。しかし大丈夫だと、彼女を安心させる為に紡ぐそれに、思わず胸中も吐露しそうになる。喋りすぎたと気付いた時にはもう遅かった。
 ごまかすことも一瞬考えたけど、彼女の目は言葉の続きを待っているようだった。
 意を決して、俺も広瀬さんを見つめる。
「……ただ少し、悩んでいたんだ。今日だけじゃない。君と付き合い始めてから、ずっと」
「えっ……」
「広瀬さんは、広瀬さんの方こそ、つまらないと思ってるんじゃないかって。ほら俺って面白い場所も知らないし、話だってあんまり……。いつも助けられてばかりだし。だから、広瀬さんを楽しませられているかなって」
「…………」
 気持ちや何かを一方的じゃなくて、与え合える立場になりたい。そう願うのは不遜なんだろうか。彼女の想いに同じぐらい応えたいと望むのは、俺の驕りなんだろうか。
「そんなことないよ」
 話している間にも思い巡らせると、否定的な考えが浮かぶ。
 その瞬間、まるで俺の思考を読んだかのように、目の前の彼女が呟いた。
「金田くんが連れていってくれる場所、私好きよ。悩んでると、一緒に答えを探してくれるところも、とても素敵だよ」
「広瀬さん……」
「そういうところを見ると、私の為に考えてくれてるんだって、伝わってくるの。……自惚れかもしれないけれど」
「そ、そんなこと!」
「それに……。好きな人と一緒にいられて、楽しくない時なんて一瞬もないの。だから、大丈夫だよ」
「……っ!!」
 眩しいくらいの笑顔に、ぎゅっと胸を掴まれた。あれだけ重たくのしかかっていた不安が、跡形もなく消えていく。
 ――ああ、もう本当に。本当に、広瀬さんからは貰ってばかりだ。
 思っていた以上に、彼女を喜ばせられていたことに安堵して、けれどこれからはもっと頑張ろう。
 改めて決意しながら、深呼吸を一つ。
 せめて今は、今この瞬間できることは、しっかり言葉にして伝えることだ。また大きくなった彼女への想いに押されるように、俺は声を張り上げた。
「……っお、俺も! 広瀬さんが好きだから、大好きだから! 一緒にいられるだけで幸せだよ!」
 心から溢れだした想いが、喉を通して大きく飛び出す。それは紛れもなく本心だった。俺の言葉に広瀬さんが肩を揺らして、やがて頬をうっすらと赤く染める。
 ――あ、今、もしかして……。
 と思ったのも束の間。聞こえてきたざわめきで、俺達に集まっている視線に気付いた。
 思い出すのが遅いけれど、ここは街のど真ん中。そんな場所で叫んだ事実を初めて理解する。
 今更だけど、ものすごい恥ずかしい。羞恥が熱となって、体温を上げる。それは広瀬さんも同じらしく、照れくささを隠すように首を傾げて笑った。
「な、なんだか……すごい注目されてるね」
「あ、あの、俺、勢いでっ……! ご、ごめん!」
「ううん、謝ることないよ。だって恥ずかしいけど……私……嬉しい」
「えっ」
「さっきの言葉も、金田くんとこうやって“恥ずかしい”って気持ちを分け合えてることも、すごく幸せだから」
 そう言って微笑む彼女の笑顔に、俺はまた嬉しくさせられて。
 それでも。いや、だからこそ、俺も広瀬さんを喜ばせられたんだって信じることができた。

 title by :回遊魚