望む限りのすべてを(葵×静)

「もうすぐ本番だねー」
 先輩が可愛らしく笑う。その笑顔に胸を高鳴らせながら、ボクはそうですね、と返事を返す。
 ――学園祭初日まで残り僅か。今日も準備作業をひと通り終えた頃には、ボク達が作り上げた「海の家」も、その周りの模擬店も全てが赤く照らされていた。ここのところ毎日見続けてきた景色。けれど、もうすぐ見納めになってしまう。
「なんか、あっという間だったなぁ……」
 周りを見渡し、そしてもう一度、目の前の建築物に目を向けて、一言。それはありのままの感想だった。
 まだ学園祭は始まってもいないのに、完成した模擬店を見ると何故だか寂しくなる。学園祭参加が決まった当初は「他校と合同だなんて、なんって面白そうなんだ!」とわくわくしていたし、今も本番が待ち遠しいという気持ちは変わらないのに。
 祭りは本番より準備している時が楽しいって言うけれど、その類なんだろうか。
「うん……そうだね」
 ふと、隣にいた先輩の声が届く。その横顔を一瞬見た瞬間、理由は明らかになった。
 学園祭が終わるのは、先輩との関わりがなくなることと同意だからだ。
 静先輩は、可愛くて、気が利いて、それでいてダビデのダジャレにも反応する面白い人だ。六角の運営委員としてテニス部をサポートすると決まってから約2週間の間、ボク達は色々なことを話した。
 業務事項から、お互いの趣味。六角のメンバーのあの人がどうだとか、自分の友達はこんなことを言ってたとか。
 準備を手伝ったり、冗談を言って笑ったり……。短いようで一日一日が濃い日々を過ごしている内に、ボクは先輩のことを好きになっていた。
 先輩へ自然と向いてしまう視線と気持ちが恋だと自覚するのは、モテたいと騒ぐだけ――至って真剣でいたつもり――だったボクにとっては、容易いようで少し難しかったけれど。
「もうちょっと剣太郎くん達と一緒に、学園祭準備したかったなぁ……」
 先輩が寂しさを素直に漏らす。まさに同じ思いを抱いていたことを伝えたくて、すかさずボクも、と同調すると先輩が「そうだよね」と、くしゃっと笑った。
 もうそれだけで、さっきまで感じていた寂しさはどこへやら。遠くの彼方に吹っ飛んでしまったように思えた。恋って不思議だ。
「誰か、時間を止めてくれないかな」
 冗談っぽく。けど本当に叶ったらいいのに、そんな風に先輩が呟いた。次も大きく頷く。でも、それだけしかできない。
 時間を止めて、このまま先輩と一緒に過ごせる日々が続くなら、万々歳だけど。
「……うぅん……それは流石に無理だなぁ……」
 超能力者でもない、ただの中学生のボクにとってそれは不可能だった。
「えっ? 何?」
「いやいやっ、何でもないです! ねぇ、他に願い事はあるの?」
 もう少し、ボクでも充分叶えられそうなことはないかな。先輩を喜ばせられて、尚且つ先輩の、ボクに対する好感度を上げられる願いごと。
 ワガママかつ下心たっぷりな思いで、先輩に訊ねる。
「そう言う剣太郎くんは? やっぱり、可愛い彼女が欲しい、とか?」
 肝心の答えは貰えず、逆に質問されてしまった。
 えっ、と言葉に詰まるボクに対して、先輩は悪戯気に微笑んで「学園祭にはたくさんお客さんが来るから、見つけられるかもしれないよ?」なんてことを言う。やっぱりボクの想いに気付いていないらしい。
「いや……それには及ばないというか、なんていうか……」
「えっ? 彼女できたの?」
 目の前にいる人とお付き合いしたいと思ってます、とは言えなくて、さてどう誤魔化そうと頭を掻いたボクを、先輩はとんでもない発言で驚かせる。
 違いますよ! と否定するボクの表情は、恐らく必死の形相だ。ボクの勢いに半ば押された先輩は、大きな目を何度も瞬かせる。
「ええっと、その。今、振り向かせたい人がいて。だからボクの望み、っていうか夢は……その人の願いを叶えること、かな」
 その人、イコール、先輩なんだけど、ここではっきり告げることはできなかった。ムードがいまいちだし――なんて言うのは言い訳で、本当は少し自信がなかったからだ。
 気持ちを表に出すことに対して、臆病になるのは初めてだ。今までなら直感に正直に生きて、突っ走れたのに。ああ、本当に恋っておかしいなぁ。
 振り向かせたい人、と先輩が繰り返す。その瞳が僅かに揺れたように見えたのは、ボクの気のせいだろうか。
「うん。その人にボクのこと、好きになってもらいたいから。だから、いっぱい喜ばせたいんだ」
 残念ながら、今までなかなか上手く成功した試しはないけども……。思わず吐きそうになる溜め息を飲み込む。
 話し終えたボクの顔を見つめて、素敵な考えだねと微笑んでくれた――けど、先輩の言葉は続いた。
「……剣太郎くん、無理してない?」
「ええっ! そ、そんなことないですよ?」
「そう? だけど、剣太郎くん。喜ばせたいって気持ちは、すごくかっこいいと思うよ。でも望む限りの願いを叶えてもらうより、隣にいて笑ってくれる方が嬉しいと思うな」
「えっ……」
「あ、これはあくまで私の意見だよ? でも剣太郎くんは、一緒にいるだけで楽しいし」
「ほっ、ほんと!?」
「うん。今こうやって剣太郎くんと話してるだけで、寂しさも疲れも吹っ飛んじゃうもの。それだけで充分だと思う」
 ――だから、剣太郎くんは剣太郎くんらしくでいいんだよ。
 先輩はアドバイスのつもりで言ったのかもしれない。しかし、ボクに対する気持ちと気遣いが聞けたこと。そしてそれ以上に、ボクといて楽しいと思ってくれているという事実が、心を浮かれさせた。
「そっか、うん! ありがとう、先輩!!」
「ようし! 頑張るぞ!」叫ぶと同時に、夕焼け空に向かって握り拳を突き上げる。そんなボクの姿に「頑張らなくていいって言ってるのに」と先輩は苦笑いをこぼしたけれど、これだけは頷けなかった。
 ボクに恋を教えてくれた人。ボク自身をしっかり見てくれる人。あなたにこの気持ちを受け取ってもらえなきゃ、ボクはもう、彼女が欲しいとは思わないだろう。
 プレッシャーをかけようとしているわけじゃない。 今この胸にあるのは正真正銘の、真摯な願いだった。
 残り数日。そしてできるなら、学園祭が終わった後も先輩の傍にいて、楽しませてあげたいから――。

「その振り向かせたい人にも、剣太郎くんの魅力、伝わるといいね」
「いやっ、もう充分……!」
「えっ?」
「あ……、あー、そうだ! 帰り、アイスでも食べに行きませんか? ボク、美味しい店知ってるんですよー」
「本当? うん、喜んで!」
 先輩、覚悟していてくださいね!

title by : 回遊魚