この気持ちに名前を付けるなら(祐太×静)

突如参加することを知らされた、今回の合同学園祭。
 特別反対するわけでもなかった裕太であるが、一点だけ杞憂なことがあった。
 兄がいる――そして、自分がいた学校でもある――青春学園の生徒達との再会。
 テニス部員だけではない。元クラスメイトだって、様子を見にくるだろう。
 逢わなくてもいいならそれがいい。でも、自分の願った通りにいくはずもなくて。
『あ、いたいた』
『おーい、不二弟! 久し振り!』
 もう一年前のことなのだ。今の自分は周りから認めてもらっている。
 昔の知り合いになんて言われたって気にすることなんかないんだと、自分に言い聞かせたけれど。
 実際に耳に届いたそれは思っていた以上に裕太の心をざわつかせた。
 当時よりは吹っ切れていたし、感情を爆発させることはなかったが、やはり気分は悪くなる。
『不二くん、お兄さんいるの? さっき、青学の人達に――』
『俺は不二弟なんて名前じゃない!』
 そんな不機嫌真っ最中の裕太の前に現れた少女――ルドルフテニス部をサポートする運営委員として選ばれた――広瀬静の何気ない言葉に、燻っていたもやもやが爆発してしまう。
 彼女は裕太の過去を知らなかったのに……と後悔するも、苛立ちをすぐに消せる程、裕太は大人ではない。
『準備はちゃんとやるからさ。……ちょっと一人にしてくれないか?』
 わざと遠ざけるようなことも言った。
 沸騰した心を制御できず、己の触れられたくなかった部分を曝け出してしまったことが恥ずかしくなったからだ。
 そんな裕太の胸中を察して、不躾な質問をしてしまったこと。その為に裕太を怒らせてしまったことに対して謝ってくるだけで、静はそれ以上何も追及してこなかった。
 ――しかし、元クラスメイト達との二度目の接触後。
『じゃ、またなー。不二弟』
『…………』
『――不二くん』
『ん? なんだ。またお前か……』
『あ、あのね。上手く言えないんだけど……』
 何かを決意したような瞳で、静に見つめられる。
『不二くんは不二くんだから』
『……え』
『誰が何と言ようが、私にとっても先輩達にとっても、不二くんは不二くんだよ』
(俺は俺……か)
 そっけない態度を取っても、変わらぬ笑顔で接してくれた。欲しかった言葉を届けてくれた。
 ――裕太の中で静が形を変えたのは、当然のことだったのかもしれない。
 *****
「あ、ここで良いよ」
 倉庫の前に着くと、静が声を上げる。
「え、ここまでで良いのか?」
「うん」
「ふぅ……」
「ありがとう、不二くん。……平気?」
「あぁ。でも、お前も大変だな……こんなのも運ばなきゃならないなんて」
「これぐらいなら、何回かに分けて運べば大丈夫だよ。それにこれも運営委員の仕事だもの」
 だから平気だよと、静はにこりと微笑んだ。
 彼女はいつでも仕事に対して真剣だ。頼んだ仕事はちゃんとこなしてくれるし、対応も早い。
 ……が、一つのことに集中すると周りが見えなくなるところが不安なのである。
「けど、困ってるなら手伝うぜ」
「でも、不二くん達も自分の作業とかテニスの練習で忙しいでしょう?」
 仕事に対するひたむきな姿勢は素直に尊敬できるが、やはり裕太は心配になってしまう。
「大丈夫だって。俺が手伝いたいからやってるだけだから」
「……不二くん」
「ん?」
「もしかして、この前のこと……気にしてる?」
「はっ、な、なんで?!」
 思わず声が裏返ってしまった。
「間違ってたらごめんね。最近、私の所に来ることが多いような気がしたから」
「あ、いや……」
 間違っていないから返答に困る。
 真意は分からずとも、裕太が自分に会いに来る回数が増えていることに気付いたらしい。
 言葉に詰まった裕太を見て肯定と思ったのか、静は話を続ける。
「もしそうなら、気にしないで。私は何も言わないし、大丈夫だよ」
「え?」
「その代わり……私が偉そうなこと言ったことも忘れて欲しいな」
 恥ずかしそうに俯く静の発言に、そこで裕太は彼女が勘違いしていることを理解した。
 本人にしたら、何も知らないくせに説教みたいことを言ってしまったことが心にひっかかっていたのだろう――しかし。
「なんで、そんなこと言うんだよ」
「えっ?」
「嬉しかったんだぜ。あんな風にちゃんと言葉をくれたのは、広瀬が初めてだったから」
「不二くん……」
 自分自身を認めてくれる人がいること。それを改めて認識することができた。
 そのきっかけでもあり、また静の優しさが詰まった言葉を忘れたくなんかない。
「偉そうなことなんて思ってないし、広瀬が誰かに言うなんて心配もしてない」
「……」
「それが気がかりで、広瀬の手伝いをしてたわけでもないよ」
「……あっ! あの、私そういう意味で言ったんじゃなくてね?!」
「ああ、分かってる。俺ももうそんなに気にしてるわけじゃ……あ、いや、気にしてないことも……」
「えっと……どっち?」
 首を傾げる静に、裕太も思わず考えてしまう。
 確かに始まりはあの出来事があったからだけれど、いつまでも気にしているわけではない。
 だが、静の存在を気にすることになったのはやはりあの時からであって。
 それを伝えようと思ったのに、なんだかややこしい言い方になってしまった。
「あー、とにかく、広瀬は気にしなくていいって」
「う、うん」
「さっきも言っただろ? 俺が手伝いたいから手伝ってるって。だから一人で全部やろうとするなよ」
「ありがとう。不二くん、優しいね」
 ううん、いつも優しいけれど。
 自分を気遣ってくれている裕太の気持ちが今、すごく嬉しいと、静は満面の笑みをこぼした。
「そんなこと、ねぇよ。お前の方が……」
 つい先日まで、お互いの存在を知らなかったというのに。
 八つ当たりをしたり、突き放した言い方をした自分をそれでも尚、気にかけてくれた静に比べれば己の気遣いなんてものは小さいと裕太は思う。
「えっ?」
「な、なんでもねぇ!」
『不二くんは不二くんだよ』
 あの時から頑張り屋で優しい運営委員の女の子は、気になる異性に変わっていた。
 まるで心、もといは本能に促されるように裕太は動き始めた。
 静のことをもっと知りたくなって彼女と一緒にいる時間を増やしたり。無茶をしていないか心配で、その姿をいつも探したり。
 そんなことを繰り返す度に胸に灯った熱は高まっていく。
 激しい鼓動。焦燥感。全身を駆け巡る熱。息苦しさを覚えたけれど、それは決して辛いものじゃなかった。
「ほ、ほら。これで今日の作業終わりなんだろ? 帰ろうぜ」
「うん!」
 裕太の言葉に静は嬉しそうに頷いて、小走りで隣に来てくれる。その姿に心が温かくなる。頬が緩むのが分かる。
 この気持ちは一体なんだろうか。自分に問いかけてみたが、答えは既に出ていた。
 胸の奥からこみ上げてくるものに名前を付けるならば――それはきっと……。