愛にまどろむ、ワンルーム

「リョーマくん。お風呂のお湯、抜いておいて良かった?」
「ん、大丈夫」
 静がバスルームからリビングへ向かうと、同居人である越前リョーマは携帯を操作しながらソファーで寛いでいた。
 ここはアメリカのとあるマンション。恋人のリョーマがこちらで生活する時に利用している部屋へ、静もつい半月程前に引っ越してきたばかりだ。
「あれ、髪……濡れたままじゃない」
「今いいとこなんだよね、このゲーム」
 背後まで近づくとリョーマが髪を濡らした状態のまま、アプリゲームをプレイしていることに気付く。静より随分先にお風呂に入ったはずなのだが。
「ドライヤーで乾かさないと、風邪ひいちゃうよ」
「じゃあ静が乾かしてくんない?」
 いくら今がオフシーズンだと言っても、体調管理をしなくていいわけではない。寧ろこの時期だからこそ油断してはならないのは、リョーマの方が分かっているはずなのだが。
 心配する静に、リョーマはちらりと視線を向けて甘い声でお願いした。恋人のご所望に『応えない』という選択肢は出てくるわけがない。「ちょっと待ってて」と言い残し、静はいそいそと道具を取りにバスルームへ戻った。

「もしかして、いつも自然に乾くの待ってた感じ?」
「まぁ、時々」
 ある程度タオルドライしてはいたようだが、念の為にもう一度タオルで残っていた水気を取ってから、ドライヤーの温風を当て始める。リョーマはと言うと、先程まで触っていた携帯をソファー前のテーブルに置いて、静へ身を委ねてくれた。
「ダメよ。しっかり乾かさないと髪が傷んじゃうよ」
 綺麗な髪だから勿体ないよ、と口にしかけて止める。きっとそう伝えたところで、リョーマはその言葉を理解しても行動に移すまでにはいかないだろう。
「ずっと思ってたけど、静ってさ」
「んー?」
 あともう少しかな。ドライヤーの温風を一段階下げたところで、ふとリョーマが声を張り上げた。
「かなり世話焼きだよね」
「えっ、そ、そう?」
 何を言われるのかと思いきや。いきなりのことに、静は目をぱちくりとさせた。
「今もこうやって俺の身の回りのことやってくれるじゃん」
「だって、リョーマくんのサポートをしたくてやって来たもの」
 その為に、はるばる日本からこの身一つで彼の元に来たのだ。
 それはありがたいんだけど、と前置きしてリョーマが続ける。
「俺以外のヤツの面倒も色々見てたし」
「学生の時のこと? それはマネージャーの仕事だったから」
「じゃなくて。それ以外のところでも」
 リョーマがはぁ、と大きな溜息をついた。それ以外のところ? と思案しながら恋人の髪へ視線を戻す。全体が乾いたことを手で確認すると、静はドライヤーの電源をOFFにした。
 次に櫛を手に取り、ゆっくりと絡まないように梳かしていく。
「ふふっ。もしかして、ヤキモチ妬いてた?」
 人の髪を触る機会なんてあまりなかったが、なかなかに楽しい。相手が恋人だからこそかもしれない。
 少し浮かれた気持ちになって、静はふと冗談を言ってみたくなった。
「そうだけど」
「えっ?」
「他の男に好きな人が優しくしてるのを見て面白いなんて思わないでしょ」
 手を止めた静に、リョーマが振り向く。その顔は真面目で、そして少し不満気で、冗談の仕返しではないのはすぐに理解できた。
「口、開いてる」
「だ、だってっ」
 恋人の本音をこんなところで聴くとは思っていなくて、戸惑いを見せた静にリョーマはたまらずプッと吹き出す。
「気付いてないの、静だけだよ。学生の頃、何度先輩達にからかわれたことか」
「え、えぇっ……?!」
 知らなかった事実が突如いくつも出てきて、静の手は完全に止まってしまう。
「けど、面倒見いいのは静の良いところじゃん。そういうのを、なんていうか……取り上げるみたいなことはしたくなかったから言わなかった」
「リョーマくん……」
「まぁ、言ったところで止めてくれなかっただろうし」
 静、意外と頑固だしね。そう言って小さく笑みを零した姿は、まるでその頃を懐かしむようにも見える。
 この数年でリョーマはすっかり大人びていた。かたや静は、恋人が素直に感情を伝えてくれることに未だ慣れない。尤もリョーマが自分の気持ちを真っ直ぐ表すようになったのは最近だから仕方ないのだが。
「確かにやめて、って言われても……難しかったかも」
 リョーマの言う通り、頑固なのは自覚している。頷くと「でしょ」という声と一緒に綺麗な黒髪が小さく揺れる。
 なんだか気恥ずかしくなりながら再び櫛を持つ手を動かし、やりかけだったセットを再開した。

  ***

「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
「ありがと」
 数分もせずに髪を整え終え、静は一式の道具を片付けるついでにホットココアを入れたマグカップを持って、リョーマが座るソファーへ腰を落とした。
「……あのね」
「ん?」
「さっきの話の続き、なんだけど」
 ふーふーと息を吹き、少し冷めたところでココアを一口飲む。その温かさと甘さに口元を綻ばせた後、静は意を決してリョーマへ視線を向けた。
「確かにリョーマくんの言う通り、誰かの為に何かすることは好きだよ。だけど昔も今も本当に何かしてあげたいなって思うのは……リョーマくんにだけ、だよ?」
 周りの人達への行動は、責任感と感謝の気持ちから。自身のそれによって相手の助けになれたらいい、という些細な願望も入ってはいるが、それ以上でもそれ以下でもない。
 しかしリョーマを気にかけたり、つい手を差し出してしまう行動の発端はリョーマの役に立ちたい、喜んでくれたら嬉しい、そうして自分のことを好きでい続けてほしい――なんて欲が深い気持ちからだ。
「リョーマくんが好きだから……キミに喜んでくれることを沢山したいなって思ってるのよ」
「うん、分かってるよ」
「本当?」
 あまりにも素直に頷くものだから、疑っているわけではないけれど聞き返してしまう。
 すると、リョーマはふぅん? と一回首を傾げて。
「じゃ、なんか眠たくなってきたし、もっと甘えさせてもらおっかな」
「えっ! 眠るならベッドの方が――」
「ここがいい。静の隣がいい」
 そう言うや否や、言葉の通りリョーマは距離を詰めて甘えてくる。
「……もう、そういう言い方はずるいよ」
 寄せられた体から伝わってくるその体温に頬が熱くなっていくのを感じて、しかし静は大人しく肩に乗る頭の重みを受け止めることにしたのだった。

Thanks by「ほのぼのなふたりの甘い日々」診断メーカー様