Silentでなんかいられない

 部屋を抜け出して、長い廊下をゆっくり歩く。12月の夜は室内であっても冷えている。羽織りものを持ってくれば良かった、と思いながらも、周りに誰もいないことを確認してリョーマはポケットから携帯を取り出した。
『はい、もしもし。広瀬です』
 既に表示させていた電話の画面をタッチする。すぐに耳元へ押し当てると3回目のコール音の後、鼓膜に馴染んだ声が聴こえてきた。
「出るの早いっスね」
『さっき連絡くれたでしょ? だから、まだかなーって電話持って待ってたの』
 部屋を出る前に「今から電話していい?」と訊ねたメール。送ってから10分ほど経過している。待ち続けていただろうに、静の声は楽しそうに弾んでいた。
『お誕生日おめでとう、リョーマくん』
 理由は単純明快。今日12月24日はリョーマの誕生日。静へ連絡をしたのも、この日を最愛の彼女に祝ってもらおうと思ったからだ。
「……ありがと」
 真っすぐなお祝いの言葉を、素直に受け取る。静に祝ってもらえるのは想像していた以上に嬉しくて、リョーマは口をもごもごとさせた。
 ああ、きっとにやついてる。
『先輩達にも祝ってもらえた?』
 静の質問に、口元を抑えながら今日を回想する。
「色々大変だったけどね」
 たこ焼きと青学カラーのケーキを食べたこと。乾のスペシャルドリンクはなんとか免れたこと。青学メンバーだけでなく、合宿所で親しくなった他校の人にも囲まれてお祝いされたこと。
 思い返してみればなかなか盛大な誕生日パーティーだった。静へ伝えながら照れ臭さを改めて感じていると、知ってか知らずか電話の向こう側の彼女は微笑んだ。
『ふふ、そんなことがあったんだ』
「いきなりだったからびっくりした。河村先輩の寿司は美味かったけど、たこ焼きは中ぐちゃぐちゃだったし」
 金太郎が自分で作ると言い出して聞かなかったらしいから、仕方なかったかもしれない。
『でもリョーマくん、嬉しそう』
「……まぁ、ああいうのも楽しかったかな」
 やはり見透かされている。多少の愚痴を漏らしたところで今日の出来事はリョーマの心を温かくしてくれたのは事実だ。素直に頷いてみせると、静はまた優しく笑った。
『良かった。リョーマくんを祝ってくれる人がたくさんいて』
「…………」
 まるで自分のことのように嬉しがっている静に、しかしリョーマは沈黙してしまう。
 確かに今日の誕生日パーティーは楽しかった。いい思い出だ。しかしリョーマの傍に、静はいなかったのだ。一番近くにいてほしい相手が、一番遠く離れている。
 こうして電話で会話をしているからこそ、現実を痛感せざるを得ない。
『プレゼント贈りたかったんだけど……やっぱり難しかったの。ごめんね』
「別に、それはいいけど」
『何か他のことでお祝いできたらいいんだけど……でも、それも厳しいかなぁ』
 静も声にはしないが、二人の間に広がる距離を感じているのだろう。それに伴う寂しさと哀しみもリョーマが思っている以上に、きっと。
「静先輩」
『ん、なあに?』
 それでも、静の声はどこまでも優しくて愛おしい。
(……ああ、もう)
 感情が、溢れ出しそうだった。
 その予感に電話を握る手に力が入る。普段ならきっと飲み込んでしまうであろう言葉をどうしたらいいだろう。逡巡したけれど、答えはもうとっくに決まっていた。
 ――止められない。止めたくない。
「……会いたい」
 静を抱きしめて、その体温を感じたい。
 ホワイトクリスマスも、クリスマスプレゼントも要らないから、ただただ静に会いたい。
 サンタクロースがいたとしてもきっと叶えてくれない贈り物を、リョーマは強く願った。
『リョーマくん……』
 恋人の言葉は予想外だったのだろうか。静が息を呑んだ気配がした。ガラでもない、なんて思っているかも、とリョーマは考える。だって自分ですらそう思ってしまうのだから。
『……私も』
 長く感じた沈黙の後、静が小さく呟いたのはリョーマが想像していたものとは異なった。
『私も、リョーマくんに会いたい。……すごく、会いたいな』
 私たち同じこと考えてたのね、と続けて言った静の笑い声が切なく聞こえて、リョーマは少し泣きそうになる。
 だったら合宿所を抜け出して静の元へ行ってみようか。もしくは、会いに来てよと駄々をこねてみようか――。
 一瞬、リョーマの脳裏にそんな考えが過るけれど。
(……なんて)
 実際には行動に移せるわけがないし、そんな我儘を言ったところで静を困らせてしまうだけだろう。リョーマはもちろん、静も相手のことを心の底から求めていても、自らが選択したことをやり遂げる人間だ。少し不器用で、だけど真面目な静だからこそ、リョーマは惹かれ続けているし、安心して前を見つめていられている。静だってきっと、同じはずだ。
『今日はクリスマスイヴだから……サンタさんが存在してたら、ソリに乗って会いにいけたのになぁ』
 彼女らしい、ロマンチックな想像。声音から冗談なのはすぐに分かった。
「へぇ? 先輩も流石にサンタがいる、なんて信じてないんだ」
『もうっ、私そこまで子供じゃないよ』
 一転してむくれてしまった静の様子に、リョーマもいつもの調子を取り戻す。
「誕生日、祝ってくれるんだよね」
 リョーマは視線と共に気持ちもほんの少し上げて、静へそう問いかけた。
『えっ? う、うん』
「じゃあ、今からお願いすること叶えてくれる?」
『今って、でも……』
 電話越しだよ、と続くであろう言葉は「今できることだから」と先回りする。それなら、と了承したのをしっかり聞き届けてから、リョーマはこう言い放ってみせた。
「俺のこと、どこが好きなのか教えてよ」
『え……ええっ!?』
 これこそ予想外だったのだろう。素っ頓狂な声が耳を劈いた。リョーマは思わずふは、と噴出してしまう。直接は見えないけれど、恐らく電話を持ちながら慌てふためいているであろう静の姿を想像したら、愛しさと可笑しさで堪えきれなかった。
「ふぅん、叶えてくれないんだ」
『……もう、リョーマくんずるい』
 その一言は、白旗を上げたことを意味していた。
『えっと……テニスに夢中なところ。照れ屋なところ。……』
 鼓膜を揺さぶる声は思ったよりも真剣に言葉を紡いでいく。自分から強請ってみたものの、段々気恥ずかしくなってきてしまう。
『ねぼすけさんなところも好きだよ。リョーマくんは隠すけど本当は優しいところも大好きだし……』
 そこまで言って、静は急に黙り込んでしまった。
『……ダメ』
 やがて聞こえてきたのは最早溜息のような小さな拒否。
 ダメってなんで、と訊ねるよりも早く静が続ける。
『こんなの全部答えてたら、ますます会いたくなっちゃうよ……』
「……っ」
 言わないと決めたばかりの我儘を、今度こそ言いたくなってしまうリョーマであった。