デート攻防戦

「次の日曜日、どっか行こうよ」とリョーマくんが誘ってきたのは、先週の部活後のことだった。
 最近部活が忙しくて、お互い時間を合わせることもできずにかれこれ一か月弱。そんな時のお誘いに私は二つ返事で頷いた。
 今までデートと称して互いの家を行き来し過ぎていたから――お家デートに関しては特に不満はなかったのだけれど――たまには外で遊ぼうかということになった。とりあえずまた後で連絡すると告げられてその日は別れた――けれど、その日から私は変に緊張してしまった。
 リョーマくんと付き合い始めて数か月。お互いの好き嫌いも大体把握してきたぐらいには気心も知れているし、勿論デートだって何度も重ねている。本当なら緊張することなんてないのかもしれない。でも久しぶりのデートに、私はどうしても浮足立つ気持ちを抑えられそうになかった。
 服装どうしよう、とか、どこを回ろう、とか。まるで初めて彼と出掛けた頃のような気持ちであれこれ悩んだり。
 学校では先輩と後輩。もしくは部員とマネージャーとしてリョーマくんの隣に立っているけれど、彼氏彼女として接することは極力避けられていた。リョーマくんは周りに冷やかされるのを嫌っている――特に先輩達が相手だと。ただでさえ私と付き合っていることで散々からかわれているからだろう。かく言う私も、からかいの対象になってしまっているのだけど。
 でも一歩外に出れば、それらから解放される。そして街に溢れる人混みの中でなら、恋人らしく振る舞えられるかもしれない……。
 なんて甘いことを一瞬考えたけれど、きっと実際にはできるわけがない。
 それでもせめてリョーマくんが同じ気持ちでいてくれればと願いながら、私はベッドに入った。

「先輩! ごめん、待ったッスか」
「ううん、大丈夫」
「そう。なら良かった」
 そして迎えた当日。
 早くベッドに入ったのになかなか眠れなくて、少し寝不足気味になりながらも待ち合わせ場所で待っていた私とは逆に、リョーマくんはいつも通り涼し気な顔で現れた。
「…………」
「どうしたんスか?」
「な、なんでもないよ」
「ふーん? じゃ早速行こうよ」
「うん……」
 七分袖のニットセーターにチュールスカート。髪型は少し趣向を変えてハーフアップ。そんな私の格好に、リョーマくんは何も言わなかった。
 元々褒めてくれるような男の子じゃないけれど。
(ちょっと残念……)
 気合い入れ過ぎちゃったかも。リョーマくんに笑われちゃったらどうしよう、なんて考えていたけれど杞憂に終わってしまった。
 嬉しいような悲しいような、微妙な気持ちになりながらも私はリョーマくんと街へ歩き出す。

 日曜日の街中は天気が快晴ということも重なって人の行き来が多い。目的地への道のりですれ違う人達の中には、私たちと同じように恋人同士だと思われる二人組も多く見受けられた。そしてほとんどが手を繋いで寄り添うように歩いている。笑い合ったり、時々はしゃいだり。どこへ行くか知らないながらも、目的地への道中であるだろう二人がとても楽しそうで。
 私はちらり、と隣を歩くリョーマくんへ視線を移した。
 ……言ってもいいかな。付き合ってるから、誰もいないから、いいよね。久々なんだもの。
「リョーマくん」
「何?」
「あのね、手……繋いでもいい?」
 意を決してお願いしてみる。
「……ヤダ」
「えっ」
 いいよ、と手を引っ張ってくれる願望とは裏腹にばっさり断られてしまった。私は思わずその場で足を止める。
 拒まれた理由が全く分からなかった。私、何かしちゃった? それとも、やっぱり人の目がある場所ではダメなのかな。
 でも一か月前はそんなことなかったのに。
「ど、どう……」
 どうして、と訊ねようとする前に、リョーマくんがニヤリと笑ってることに気付く。
「……どうして笑ってるの?」
 質問の意味合いを変えて、彼に言葉を投げかける。
「ゴメン。だって冗談なのに、先輩が真に受けたから」
「じょ、冗談って……」
 リョーマくんの冗談や嘘は見破れないことが多い。まだ付き合ってなかった頃も、遅刻した彼が告げたその理由を真に受けて慌てたことがあった。その頃から何も変わってない私を「相変わらず生真面目ッスね」とリョーマくんは面白そうに笑ったかと思いきや、
「なんか先輩、緊張してたみたいだったから」と呟いた。
「そんなことっ」
「いつもより顔、固かったように見えたけど」
「それ、は……」
 とっくに見透かされていたみたい。私には彼の嘘や冗談は見破れなくても、彼には見抜かれてしまう。
「ちょっと寝不足だったから……」
「なんか悩みごとっスか」
「ううん、そうじゃないけど。ただ今日のこと……考えてたら……」
 緊張してたのは確かだ。こういう時でさえ、私は嘘はつけない。
 吐露した途端、「やっぱり」と漏らしたリョーマくんに私は慌てて言葉を重ねる。
「で、でも、だからってあんな冗談言わなくてもいいのに……」
「ちょっとしたイタズラのつもりだったんだけど。でもごめん、あんなに驚くとは思わなかった」
「……拒まれたらびっくりするよ」
 予想外だったと打ち明けるリョーマくんに、怒りがむくむくと湧き上がった。からかわれたことは元より、リョーマくんが飄々としていることに。
 付き合い始めは少し照れくさそうにしていた時もあったけれど、すっかりこの関係に慣れてしまったのか。今ではあまりそういう表情を見せてくれなくなってしまった。寧ろさっきのように、私をからかっては反応を見て面白がったりすることができるぐらい、余裕みたい。
 逆に私は今回に限らず、なんだかんだでドキドキし続けていて。
 ……男女の違いっていうのはこういうところでも出るのかな、なんて思いながら彼の顔を見つめても。
「ホントに悪かったッス。だからほら、拗ねてないで手繋ごうよ」
 リョーマくんは笑って手を差し出してくるだけ。まるで拗ねている子供を宥めるように。
 繋ぎたいと願った彼の掌。それを拒むことこそ子供の反応だと思う。
 かと言ってこのまま手を繋ぐのもなんだか悔しくて。
 だから――。
「ちょ……先輩っ?」
 伸ばされていた腕にぎゅっ、と抱き付いた。
 流石のリョーマくんも面食らったらしく、慌てて声を上げる。
「さっきの……仕返し」
「し、仕返しって……何それ」
「だって……リョーマくんばかりずるいんだもの」
 彼の一挙一動でドキドキしたり、ぐるぐる悩んだり。私の心拍数を上げるのはずっと、いつだってリョーマくんだけなのに。
 私だけ、って思うのはやっぱり子供っぽいのかもしれないけれど、それでも少しだけでも彼をドキドキさせたくて。
「…………いのはどっちだか……」
「えっ?」
 より密着しようと体を寄り添わせると、リョーマくんがぼそりと口を動かした気がして視線を移す。
「なんでもない。っていうか、もしかして今日はこのまま歩く気?」
「う、うん。だって仕返しだもの。ヤダって言うのはナシよ?」
 今更ながらこみ上げてきた羞恥心を抑えながら答える。
「……別に言わないけど。先輩の方こそ、後からやっぱ恥ずかしいとか言って離れるのはナシっスよ」
「も、もちろん」
「とか言いながら、もう顔赤いけど」
 指摘してきた彼の頬も、僅かばかり赤く染まっているのを私は見逃さなかった。
「そう言うリョーマくんこそ、顔――」
「そろそろ行くよ。邪魔になってるみたいだから」
「え、ちょっと待っ……!?」
 すべてを言う前にぐいっと引っ張られてしまう。
 体勢上、リョーマくんの歩みについていくだけで精一杯で。
(……やっぱり顔赤い)
 それでも、この体勢だからこそ彼が隠そうとした頬の赤みがはっきり分かった。
(ドキドキ、してくれてるんだ)
 それだけでさっきの意地悪も今までのことも許せてしまうのは勿論のこと、人混みの中を腕を絡めて歩く行為に対する恥ずかしさも吹き飛んでしまう。
 だから私は今よりも強く、もっと近くリョーマくんに寄り添った。
 まだデートは始まったばかり――。