Gain the initiative

1月1日、元日。何をそんなに急ぐというのか、人の流れは途絶えることなく忙しない。勿論その理由も、そして自分がその中にこれから埋もれることになることも分かっているけれど、それでも溜息は重くなった。去年、境内に入る前までに人混みに揉まれまくったことを思い出すと、やはり憂鬱な気分になるのだから仕方ないと思う。
 しかしすぐにスッと張りつめた空気を吸い込み、視線を上げる。眉間に皺を寄せてたら、これからやって来る相手に無駄な心配をさせてしまう。生真面目な分、変なところで心配性な俺の彼女。新年からその表情を曇らせるわけにはいかないし、曇らせたくない。……ないのだけど。
 そもそも、その肝心の相手が未だやって来ないのは――。
「どういうわけ……」
 ぽつり、呟いた。
 待ち合わせ時刻はとっくに過ぎている。場所もここで間違ってないはず。なのに、先輩の姿だけがない。
 最初に来た時、自分が一番乗りだという事実につい首を傾げてしまった。二人でどこかへ出かける為に待ち合わせすると、決まって出迎えられるのは俺の方だったから。
 でも付き合い初めて、もう一年とちょっと。長く付き合っていたらこんな日があったって不思議じゃない。寧ろ今までがきっと珍しかっただけで、これからも一緒にいるとしたら、たまにはこういう日もあるんだろう。
 俺は慌てた様子で走ってくるであろう先輩を思い浮かべ、日頃の仕返し――仕返しされるようなことを先輩はしていないし、そもそも遅れる自分が悪いのでそう呼ぶのは違うけど――になんて言ってやろうか、と考え出してから…………現在10分が経過。
 たったの10分。されど10分。俺を苛立たせるには十分な時間だった。
 やっぱりおかしい、と思い直し、ポケットに直していた携帯を開く。何かメッセージが送られてきているか確認するけれど、通知はなかった。次に俺は目を凝らし、前に漂う人混みの中からその姿を探す。けど、来ていないならば見つかるわけがない。
 段々と、しかし急に焦りを覚えた。もしかしたら来る途中で何かあったのかもしれない――なんて新年早々物騒なことを考えて、小さく頭を振る。そんなわけないだろ、と浮かんだ悪い想像を打ち消すように。
(でも、こんなことなら……)
 家まで迎えに行けば良かった。いや、今からでも迎えに行った方がいいかもしれない。
 まずは連絡を取ろう、と通話履歴から先輩の番号を探していたら。
「リョーマくんっ!」
 耳に飛んできたのは聞き慣れた声。――ああ、やっと来た。安堵に胸を撫で下ろし、俺は顔を上げる。それから「遅いッス。待たせた罰として何か奢ってよ」と、先程考え抜いた返事で先輩を出迎える、つもりだった。
 けれど、駆け寄ってきたその姿に俺は言葉を失う。
「遅れて……っ、ゴメン、ね……!」
 切れた息が整うのを待っていられない様子で、先輩は途切れ途切れに謝罪を口にするが。
「ああ、うん……」
 当の俺はただ頷くのが精一杯。と言うのも、さっき考えていた返答が頭から飛んでしまったのだ。
 しかし先輩は俺のそんな態度を怒っているものだと思ったらしい。小さく頭を下げる。
「本当にゴメンなさい。ちょっと準備に手間取って……」
「……準備って、それのことっスか」
 言って、先輩を指差す。――正確には、その身を包む薄桃色の振袖を。
 その装いに合わせてだろうか。髪型もいつものポニーテールとはまた違った風に整えられ、大きな花の簪が振袖と相まって華やかさを際立たせている。
 初めて見る先輩の姿に、俺はなんだか調子を狂わされかけていた。
「うん。お母さんに手伝ってもらったの。けどお母さん、着付けするの久々だったみたいで。それに私も初めてだったから……」
 だから当初予定していた時間を過ぎ、俺との待ち合わせ時間に遅刻してしまったというわけらしい。
 先輩は最後にもう一度「ゴメンね」と謝った。
「別にいいけど……そんなに大変なのに、よく着てきたッスね」
 ――着付けは慣れていないと、時間がかかる。故に初詣だからと言って、振袖を着てくる人は実際には多くない。
 去年の初詣前に、親父に適当な知識を吹き込まれていた俺にそう指摘してくれたのは、誰でもない先輩だったのに。
 頬の熱を冷ますように息を吐き出し、あくまでいつもの調子なのだと主張する代わりにそう返せば意外なことに先輩は微笑んだ。
「今年もこうやってリョーマくんと初詣行けることになったから。じゃあ有言実行しなきゃと思って」
「……どういうこと?」
「あ、やっぱり覚えてない? ほら、去年の初詣の時『来年は着てくるね』って約束したでしょ?」
 そこまで言われて思い出した。振袖の知識について教え直された後の会話を。
 しかし、あれを『約束』と呼ぶのは――。
「あれは先輩が勝手に言ってただけでしょ。あんなのは『約束した』とは言わないと思うけど?」
 そう、俺は『着てきてほしい』なんて一言も口にしていない。着てくるね、と言った先輩に対しても決して頷いてなんかいない。
 ――内心どう思っていたかはともかく。
 俺の反論に、先輩は不満気に口を尖らせた。
「た、確かにそうだけど……何か言ってくれてもいいと思う、な」
「……何かって?」
 敢えてとぼけてみせる。この流れから先輩が「何」を求めているのかなんて分かり切っていたけれど、それを言葉にするのは苦手だった。
「とぼけちゃダメ。本当は分かってるんでしょ?」
「さぁ、分かんないッス」
「……もう。今年も相変わらず素直じゃないのね」
 肩を竦めて苦笑いをこぼす先輩。その仕草はお姉さんぶりたがる彼女のクセ。
「今年も、ってまだ今年始まったばっかだけど」
「そうなんだけど……って、あれ?」
「何?」
「同じこと、去年も言われた気がする」
 自分がいつ、どんな発言したかなんていちいち覚えていないけど、記憶力のいい先輩が言うのだ。きっと俺は一年前も同じことを言ったんだろう。
「ふーん? なら先輩も相変わらずってことッスね」
「う……。って、違うの! そういう話じゃなくてっ」
 本来の話題に戻そうと必死な彼女の様子に、俺は呆れ気味に溜息をついてみせる――そもそも話を脱線させているのは自分なのだが――。
 気を取り直した先輩はくるりとその場を回った。その動きに合わせて袖がひらりと翻る。
「振袖、どうかな?」
 こちらを伺う仕草と同時に、簪が揺れた。瞳を覗かれ、視線が交差する。期待した目がこっちを見ていた。
 ――そんな目で見つめられたら、どうしようもないじゃん。
「……似合ってると思う、けど」
「そこはちゃんと断言してほしいな」
 かなり勇気を振り絞った一言に、訂正が要求される。
「…………似合ってる」
「ありがとう!」
 不本意だけど『本音』を言わなければならないらしい。視線を落として言い直すと、先輩は途端に破顔する。
 こんな風に喜ばれては、もう茶化すことなんかできなかった。

(……年が明けたからって、そう簡単に変わるわけないか……)
 先輩の身長とも並び、もうじきに追い越すことができると確信した昨年。だから今年からは俺が翻弄してやるんだ、と密かに目標を立てていたけれど。
 実際は元日早々、こっちが先輩の一挙一動に翻弄されてしまっているという現実。それが絶対に嫌だとは思わない。翻弄しようがされようが、結局どっちでも先輩への気持ちは変わることはないことも確信している。
 だけど、俺達の関係も「相変わらず」と言われてしまうのはごめんだから。
(神頼みはするつもりないけど……ついでに願っとこ)
 ――今年中に形勢逆転できますように、と。
「えっ? 今、何か言った?」
「別に。それよりそろそろ行こうよ」
「あっ、うん!」
 参拝時のお祈り事を決めると、俺は先輩の手を引いて歩き出した。

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