上手な愛にほどかれていく

二度目の全国大会を終え、季節はあっという間に冬。
 リョーマにとって、日本で迎えるクリスマスも二回目になる今年――それは突然聞かされた。

「もうすぐだね、リョーマ君」
 夕練を終え、各自のロッカー前で着替えている最中のこと。ユニフォームを脱ぎ、制服に手を伸ばすリョーマにふと声がかかる。隣に目をやれば、カチローがこちらを見てにっこり笑っていた。リョーマの視線を受けて、彼はすぐに言葉を接いだ。
「最初聞いた時はびっくりしたけど、先輩達にも久しぶりに会えるみたいだし。楽しみだよね!」
 楽しげに語る友人を前にして、リョーマはしばらく聞き役に徹していたが、やがて顔を顰めた。不愉快さからではない。カチローが話す内容が一向に理解できないのだ。初めは自分が忘れているだけかと思った。だがいくら耳を傾けても、話は見えてこないまま。
「あのさ、」
 このすれ違いを解消しなければ。その思いで友人の名前を呼んだ。
「さっきから何のこと言ってるのか、分からないんだけど」
 リョーマが素直にそう告げると、今度はカチローが困惑の表情を浮かべる。リョーマも知っている前提で声をかけたが、それは間違いだったらしい。その事実に少し動揺するも、カチローはならばと改めて口を開く。
「副部長……じゃない、桃ちゃん先輩が言ってたんだ。24日、近くの店でクリスマスパーティーするって。不二先輩や菊丸先輩、みんな誘ってるみたいで『参加できるヤツは来いよ』って」
 ね、とカチローは近くにいた部員に訊ねた。先輩二人の会話に聞き耳を立てていたのだろう。いきなり話を振られたにも関わらず、その新入生は「俺も聞いたっス」と大きく頷いた。それに続くように、他の部員達からも「俺も俺も!」と、カチローの言葉に同意する声が上がる。
 リョーマはざっと室内を見渡した。彼らの様子から察するに、ここにいる全員が桃城から何かしら連絡を受けているようだ――リョーマを除いて。
「僕もこの前、メール貰ったけど……あっ、広瀬先輩は何か言ってなかった?」
 後輩達が顔を合わせて笑い合う中、リョーマは一人取り残されてしまう。そんな彼にカツオが優しく声をかけた。
「……特に何も」
 投げかけられた質問に、リョーマはそれだけ返す。と言っても今週はまだ静とゆっくり話ができていないから、実際彼女が連絡を受けているか否か分からない。
「伝え忘れかな?」
「桃ちゃん先輩なら、ありえるかも……」
 リョーマをフォローするが為に、少々失礼なやり取りをするカチローとカツオ。しかしそれに異論を唱えたのは、彼ら「トリオ」の中心人物である堀尾だった。
「カチローもカツオも何言ってるんだよ。広瀬先輩も知らないってなら答えは簡単じゃんか」
「えっ?」
「堀尾君、どういうこと?」
「だーかーら! 越前には先輩がいるから、気を利かせたってことだろー」
 堀尾が鼻を鳴らして答えた、その瞬間。部室に「あー……」と皆の口からもれ出た低音が見事に揃って響いた。
『青学テニス部の柱』と呼ばれる越前リョーマと、敏腕マネージャーだった広瀬静。二人の関係が先輩と後輩、そして選手とマネージャー以上の仲であるのは今年入部した新入生達でさえも知っていることだ。
 確かにそれなら納得だと皆が頷きあう光景に、しかし当人のリョーマだけが入り込めずにいた。

 *****

「リョーマくん、終わったから見てくれる?」
 三日後。部活がないリョーマは静からの電話を受け、彼女の家を訪れていた。部屋に二人きり、だがお部屋デートというわけではない。挟むように座ったテーブル上には様々な参考書が並んでいて、それを見つめる静の表情も真剣なものだ。
 二人が出逢ってもう一年程が過ぎ、三年生に進級した静はこの秋、テニス部を引退した。そして現在は高校受験の為、勉強に明け暮れている。今日リョーマが自宅に呼ばれたのも、勉強――彼が得意とする英語を見て欲しいという理由からだった。
「りょーかい」
 静の申告に頷いてから紙を受け取り、問題とそれに対する彼女の答えをチェックする。全て終えるとリョーマは文法の間違いを一つずつ指摘していった。成績は一定以上をキープしているが、英語に関しては不安があるという静。しかしそれも最近はリョーマの教えと勉強の効果もあって、少しずつ克服し始めていた。問題用紙から顔を上げ、リョーマは彼女に向かって微笑む。
「最近、頑張ってるじゃん」
 リョーマの言葉を聞いて、静は嬉しそうな声を上げた。
「うん。近頃は自分でも実感するようになったの。リョーマくんに教えてもらい始めてからは、特に」
「そうじゃなきゃ俺の立場がないっス」
 意地悪に返せば静は頬を膨らませるも、またすぐに目を細める。
「……ありがとう、リョーマくん。勉強見てくれて」
 静が部を引退した直後。受験勉強に追われる彼女に、リョーマは自ら英語の教師役に立候補した。少しでも静の役に立ちたくて、一緒にいられる時間を多く作りたくて。なかなかどうして甲斐甲斐しい、とリョーマは自分の行動を顧みて思う。
「別に、俺が言い出したことだから。それにお礼を言うのはまだ早いんじゃない?」
「そう、だよね。じゃあもっと頑張らなきゃ。……リョーマくん、もう少し付き合ってくれる?」
 新たな参考書を開きながら静が再びペンを取るので、リョーマは首を傾げた。
「いいけど……本当に今日は随分頑張るっスね。まだやる気なんだ」
「うん。だって再来週はリョーマくんの誕生日だし」
 彼女の言葉に、リョーマは昨日の出来事を思い出した。

『……い、一応、広瀬先輩に聞いてみた方がいいんじゃないかな? 連絡貰ってるかもしれないよ』
『そうだよ! それに、もし先輩に声がかかってなくてもリョーマ君達がパーティーに参加しちゃいけないってわけじゃないし』
『僕達は勿論、先輩達だって二人が来るなら歓迎してくれるよきっと!』
『あっ、だけど広瀬先輩と約束があるなら、そっち優先でいいからね!』

 あの後、カチローとカツオが慌てて言葉を紡ぐと、そうですよ、と後輩達も倣うように声を上げた。彼らなりにリョーマを気遣ったのだろう。しかし、リョーマと静をセットにしている時点で、皆が堀尾の発言を意識しているのは明らかだった。
 クリスマス・イヴ――パーティーが企画されているその日は、リョーマの誕生日でもある。それを知っているからこそ、桃城は敢えて自分達を誘わなかったに違いない。余計なお節介だ、とリョーマは心の中でぼやく。
「あのね、その日だけは勉強をお休みして、リョーマくんの誕生日お祝いしたいと思ってるの。だから今、色々考えてるんだけど……」
 楽しそうに話す静。彼女の脳内でこれから描かれるであろう――聞かなくても胸が弾む――濃密な時間を過ごしたいと思う一方で、昨日のやり取りが忘れられない。
「……その日のことなんだけど」
 渦巻く思いと、訊ねるべきだと言った友の言葉に背中を押されて、リョーマはとうとう口を開いた。
「あ……やっぱり、今年はダメ?」
 受験生なんだから、と咎められると思ったのか。静の表情が曇る。
「違う。そうじゃなくて……なんか、テニス部でパーティーやるらしいんだよね。で、先輩達も集まるとか」
「それ、本当?」
 桃城達の計画を告げると案の定、静は目を瞬かせた。やはり聞かされていないらしい。彼女の話ぶりを見れば、もはや確定していたことだが。
 初耳、と漏らした静にリョーマは「俺達は呼ばれてないらしいから」と更に告げる。当然彼女は首を傾げた。
「気を利かせたんだろ、って堀尾は言ってた」
「気、って……もう」
 どうして、と呟いた彼女の疑問に友人の名前と言葉を出して答えると、不安げな表情から一転、静は頬を赤らめるが。
「でも……パーティーか。いいな、楽しそう」
 友人達が笑い合う様子を想像したのだろう。ふふ、と小さく口元を綻ばせる静。
「…………なら」
「えっ?」
「先輩が行きたいなら、そっちに参加してもいいけど」
 彼女の笑顔に突き動かされるように、リョーマは一つ提案してみせた。
「でも、呼ばれてないんだよね?」
「来るなとも言われてないし、別にいいんじゃない? まぁ……桃先輩とかにはからかわれるだろうけど、だからって追い返されるなんてことはないだろうし。もちろん、二人で過ごしたいならそれでもいいよ」
 先輩に任せる、とリョーマは半ば放棄するかのように決定権を静に委ねた。
「私が決めていいの? リョーマくんの誕生日なんだから――……あっ」
 そこまで言いかけて、静がはっとした顔をする。かと思えば、
「……リョーマくん、ずるい。ううん、素直じゃないのね」
 突然そんなことを呟いた。
「いきなり何スか?」
 だって、と苦笑いを零しながら静は言葉を続ける。
「パーティーに参加したいって思ってるのはリョーマくんの方なのに、それを私に選ばせようとしてるんだもの」
「……先輩の勘違いなんじゃない?」
「ううん、そんなことないと思う」
「そう思う理由は?」
 逃げ道を自ら塞いでいる予感を感じながらも、リョーマは彼女へ問いかけた。
「リョーマくんって、基本的に必要なことしか話さないじゃない? もしパーティに行きたくないなら話があったってこと自体、私に言わなかったと思うの。だからこうやって話題にするってことは本当は行きたいと思ってるんじゃないかなって。……違う?」
 冷静な分析。反論する余地は――全くなかった。
「……先輩って、時々妙に察しがいいよね」
 肯定する代わりにぼやいてみせる。ここまで言われても素直になれない天邪鬼な自分に、とうとうリョーマの口元にも苦笑が浮かんだ。
 ――本当は仲間外れにされていたと知った時、寂しかった。静と一緒に過ごせるようにという配慮だとしても、リョーマは『寂しい』と思ってしまった。
 だけど、それを彼らに正直に話すことは出来なかった。自身の感情を他人に見透かされたり、打ち明けることは苦手だったから。らしくない、と笑われるのも嫌だった。だから口を閉ざした――のだけど。
 結局のところ、こうして暴かれてしまっている。
「素直じゃない男の子と付き合ってるんだもの。鍛えられたのかも」
「言ってくれるッスね」
 強気な発言にそう返せば、静は微笑み、
「何はともあれ、これで決まりだね。クリスマスの予定。あ、誰かに連絡しておいた方がいいかな。飛び入り参加はやっぱりまずいよね」
 参考書の上にスケジュール帳を乗せ、予定を書き込もうとする。
「別にそれぐらい……っていうか。先輩は、それでいいわけ?」
 色々考えている、と先程言っていたのに。あっさり予定を変えてもいいのだろうか、とリョーマは今更ながら不安を覚えたが。
「いいも悪いもないよ。だってリョーマくんの誕生日だもの。私は、リョーマくんの希望に沿ってお祝いしたいの」
 それが一番だから――ね? あっけらかんと言ってのけた後、静はダメ押しの笑顔を向けてくる。そろそろ素直になって、という言葉なき投げかけ。
 ――潮時だ、と思った。
 気持ちを口にすることに対する苦手意識はまだまだ強い。だけど静と付き合い始めてから、その意識も少しずつ、ほんの少しずつではあるけれど薄れているような気もしている。
 それは誰かの素直な人柄に影響されているからなのか、言葉を欲しがる恋人に愛を強請られ過ぎて慣れたからなのか。
 どちらにしろ、今はこれ以上彼女の前で強情は張れないと思い知り――
「……ありがと、先輩」
「ううん。パーティー楽しみだね、リョーマくん」
「……そうっスね」
 微笑む静につられるようにして、リョーマは今度こそ素直に笑った。

 とは言え――。
「なんだ、お前らも来たのか? てっきり二人で過ごすもんだと思ったから気利かせたのによ」
「そんな気遣いいらないッス。ていうか、そんな気遣う余裕あるなら桃先輩も彼女作ったらいいんじゃない?」
「お前ってほんと可愛くねーな、可愛くねーよ!」
 恋人以外の前ではまだまだクールを装おうリョーマであった。

title by : 寡黙