明日も明後日もずっと

きっかけは、誰かが持ってきた一本の笹竹だった。それを見て、乗り気になった桃城くんを止めることはできず、手作りの短冊を部員にそれぞれ渡していく。
 そうして、テニス部内だけの七夕が始まった。
 室内を見渡すと、何を書こうと真剣に考えたり、書き終えた短冊をお互いに見せて笑い合う皆の様子に、自然と笑みが浮かぶ。
 貰った短冊に視線を落として、私も思案する。願い事と単純に考えれば「青学テニス部の全国連覇」だけど……。
 ちらりと隣のリョーマくんを盗み見た――つもりなのに、目が合ってしまった。
「なに?」
 小さく肩を揺らす私に対して、彼は怪訝そうに口を開く。
「リョーマくんはなんて書いたのかなと思って」
 嘘じゃないけど、本当に聞きたかったことでもなかった。それを隠すように笑いかけると、彼は首を振る。
「まだ書いてない」
「ええっ!?」
 思わぬ返答に頓狂な声を上げてしまう。リョーマくんなら迷うことなくテニス関連かなと思っていたけれど。
「自分で叶えなきゃ意味がないじゃん」
 言われてみればその方がリョーマくんらしい。自信満々な言葉に、私は笑ってただ頷くだけだ。
「そういう先輩は、何書いたんスか?」
「きゃっ!?」
 手元を覗かれそうになるのに気付いて、慌てて胸元に持っていく。遅かれ早かれ、笹に吊るしたら見られてしまうのは勿論分かっていた。
 でも、自分の前で願い事を読まれるのは恥ずかしい。
「俺には見せられないこと?」
「ち、違います!」
 いきなりの発言に驚いて大声で否定すると、彼は小さく吹き出した。躊躇している私にじれったさを感じて、リョーマくんなりにからかったらしいけど……それにしても、意地悪だ。
 けれども、やっぱり私の願い事がどんなものなのか、彼に知られるのは時間の問題だろう。羞恥心を堪えて、握っていた短冊をリョーマくんの視線の先に持っていく。
「……別に心配ないっスよ」
「そうだと思うけど……やっぱり心配だから」
 照れ臭そうな声と一緒に、それはすぐに返される。想いを込めて書き綴った願い事は――リョーマくんが無事に帰ってきますように。
 彼は再来週から始まる夏休みの間、アメリカに渡る。目的は一つ、全国大会を勝ち進んでいく為のに力をつけること。滞在期間は約一ヶ月。
 当然私は付いていくことはできないから、この間彼とは会えない。
 一ヶ月と耳にするだけなら、それは些細なもののように感じた。リョーマくんは勿論、私もこの夏休みはマネージャーとしてテニスに追われるはずだから、寂しさなんて感じる暇もないと思う。
 なのに、胸に広がるのは不安ばかりだ。彼はいつも前を見据えている。今は一ヶ月だけかもしれないけれど、近い将来はどうなるだろう。
 半年後、一年後。私はリョーマくんの隣にいられるのかな。リョーマくんは傍にいてくれるのかな。
 未来は見えてこないのに、考え込んで勝手に不安がって。悪い癖だなとは自分でも自覚している。
「……決めた」
「えっ?」
 悪い方向へ流されていく思考は、彼の一声が止めてくれた。顔を上げると、リョーマくんは持っていた白紙の短冊にペンを走らせていて、そして一瞬も迷うことなく書き終えた。
 何を書いたのと、訊ねる前に短冊を手渡される。
「見てもいいの?」
 リョーマくんのことだから、見せてとねだっても断られるかなと思っていたのに。
 私の問いかけに、彼は小さく頭を振った。予想していなかった行動に、若干戸惑いながらも、文字に目を走らせ――。
「……リョーマくん」
 彼を呼ぶ、たったそれだけなのに声が震えた。
「これ、願い事じゃないよ……?」
 私の方を見ずに、リョーマくんはそうっスね、と淡々と答えた。視線を合わせてくれないのは、照れてる証拠だ。
 さっきまではいつも通りの態度だったのに、本当は恥ずかしいみたい。その姿に、こみ上げてくる感情は更にぐちゃぐちゃになって、どんな顔をしたらいいか分からなかった。
 どうして分かったんだろう。ううん、分かりやすかったのかな。そこに書かれていた言葉は、私の心の底にある、寂莫や不安を全部拭い取ろうという想いに満ちていて、私は泣きそうになるのを必死で堪えた。
「それ、先輩にあげる」
「え、でも……」
「その代わり、先輩のやつと交換ってことで」
 ――願い事じゃないから、笹に吊る必要はないでしょ?
 声を上げた私を遮ってそう言うと、もう一つの短冊に手を伸ばしてくる。私の分に関しては願い事に変わりはないから、一応笹には吊りたいと考えていたんだけど。
 しかしリョーマくんは「だから心配ないって、さっき言ったじゃん」と笑って、私の手からそれを抜き取った。
 手元に残った彼の短冊に、もう一度目を落とす。普段のリョーマくんからは想像がつかない綴られた言葉たちに、ぎゅっと心を掴まれる。
 私だけに贈られた気持ち――それは音に乗せた言葉よりも力強さを感じて、彼への愛しさがより一層積った。
 もう離れても、怖くない。
「ありがとう……大好きだよ」
 返事はなく、ただ優しい温度が私の頬に触れた。

title by : 寡黙