甘え方をご存知ですか

興味がなさそうにしてるのは、裏返しの行動?
 そんな態度を見せなかったのは、ただその方法を知らないだけ?

 それは朝練の為、部室で着替えていた時のことだった。
「……は?」
「だからな、昨日TVで言ってたんだよ。『クールぶってるのは甘えたいサイン。愛情を注いであげましょう』って!」
 そういうことなんだろ?! と桃城がリョーマの頭を乱暴に撫でる。
 ――いや、訳分かんないし。ってか、なんでそんな番組、桃先輩が見てるんスか。
 ぼそりと口に出したが、相手は周りの先輩達とにやにやしながら話し合っていて届かなかった。
 桃城はまるでそれが正解なんだと思っているようだが、リョーマの反応が薄いのも、切り返す言葉が冷ややかに感じるのも、彼が育ってきた環境が影響している。
 決してこのぐらいの年齢の子供にある「反抗期」や愛情欲しさ故のものではない。
 ……と反論した所で、すっかり盛り上がってる彼らには「ほら、越前が甘えたがってるよ?」と微笑ましい視線しか返されない。
 そうしてすぐに発足された――真剣なのか、ただの遊びなのか分からない――「越前に優しくしようの会」には、レギュラー陣の全員が(普段ならストッパー役の手塚までも)参加して――。
 リョーマ本人の意志などお構いなしに、状況は悪化していった。
 恐らく、青学の母と言われる心優しき副部長辺りは善意なんだろう。
 だが、リョーマにはこのノリに乗っかって自分で遊ぶ気の人達が大半じゃないかと思う。
 ――そんなことより、練習したらどうっスか?
 いつもの調子で返しても、効果はなく、寧ろ彼らを増長させるだけしかなかった。

 そんな朝練から始まり、休み時間、教師の手伝いの途中。
 どこからともなく現れ、自分勝手の優しさを押し付けられる。
 そのどれもが予想以上の、“親切”を通り越したありがた迷惑で。
 放課後も大した練習も出来なかったのに、いつも以上に疲れ果てていた。主に、精神面が。
 ――これ以上まとわりつかれるのはごめんだ。早く帰ろ。
 着替えた意味がなかったジャージをロッカーに投げ捨て、テニスバッグを肩にかけてリョーマは部室を後にした。

 *****

「あっ。お疲れ様、リョーマくん」
「ん。先輩も、お疲れ様」
 部室を出ると早々に、彼を待っていた静が駆け寄ってくる。ふんわりと柔らかい笑顔に、少しだけ疲労を癒された気がした。
 かけてくれた労いの言葉は、今日に限って部の先輩らの善意(という名のいじり)に付き合わされた事に対するものに聞こえて、ふっと息を吐く。
「……なんか機嫌悪い?」
「そりゃね」
 リョーマの不機嫌な感情を拾い、彼女は心配そうな面持ちで遠慮がちに訊ねた。
 何故、と理由を聞かないところを見ると、大方の目星はついているんだろう。
 まぁ、あれだけ盛大にやられていれば、鈍感な静だって気付いて当たり前だ。
「こっちの迷惑も考えて欲しいっス」
 それはもう嫌そうに話すリョーマを、静が咎める。
「もう、ダメだよ。先輩達はリョーマくんを可愛がってるんだから」
「あれが?」
 全てを目撃していないが、静だって知っているはず。
 彼らが言う“優しさ”は、される側としてはなんとも言い難いものだと。
 言い放った言葉に一瞬俯いてしまうが、静は尚も明るく返す。
「……き、気持ちが分からないわけじゃないけど……。でもリョーマくん、最後まで何も言わなかったよね?」
「まぁ……」
 最初は「いいっス」とやんわり断っていた。
 しかし、それで止めるものなら、初めからやろうなんかしていないだろう。
 それに何を言っても聞いてくれそうにないのは、彼らの顔を見て分かっていたから。
 理由はそんなものだったのだが、曖昧に答えた為、静の顔色がぱあっと明るくなる。
「やっぱりリョーマくんは優しいね」
「別に、そんなんじゃない」
 何の恥じらいもなく微笑む静に、リョーマは帽子を深く被りなおした。
「だけど、私びっくりしちゃった。あの手塚先輩までも加わってたんだもの」
「それは俺もびっくりした」
 桃城の言う事を信じたのは、ある意味天然である手塚らしいと言えばらしい。
「桃城くん、きっと力説しちゃったんだね。私の時も結構凄かったし」
 くすくす笑う静の言葉に、引っかかりを覚える。
 そういえば、静は何もしてこなかった。が、それがイコール、話を聞かされていないというわけじゃない。
 考えてみれば、リョーマの彼女である静に声がかからないはずがないのだ。
「ふーん。先輩も桃先輩から言われたんだ」
「うん。一緒にやろうとも誘われたけど……結局、傍観のまま終わっちゃった」
 そう言って苦笑いを浮かべる静に、リョーマは更に深く追求する。
「……ということは、静先輩」
「なあに?」
「信じたんだ? あれを」
 興味がないように見せてるのは、甘えたいサインなんて。
 TVのそんな、どこの誰が言ったか分からない情報を?
 桃城の力説に押されて?
 それとも静も本気でリョーマの無愛想な態度が、構って欲しさの裏返しだと思ったのだろうか。
「えーと…………」
 沈黙。じっと見つめてみると、頬が少しずつ紅潮してくる。
 その反応が面白くて、リョーマはにやりと笑って続きを促した。
「ねぇ、どうなんスか?」
「……少しだけ。でもリョーマくんの態度は、それとは違うって思ってるよ?」
「へぇ」
「あ、だけど……ううん、言わない方がいいかなぁ」
「何?」
 そのまま何かを言うかと思えば、躊躇った末――「やっぱり……秘密」と、静はそっと唇に指を当てた。
 途中で止められてしまえば、ますます気になってしまう。
「何で? 言ってくれないと気になるんだけど」
「…………笑わない?」
「さぁ。内容にもよるっス」
 生意気に返すと、もう、と静が頬を膨らませる。
 でも、リョーマのその態度も慣れっこな彼女は、少ししてすぐに口を開いた。
「……ちょっと信じたのは、私の願望が入ったからかな」
「願望?」
「うん。リョーマくんって、あまり人に頼らないじゃない?」
 ――先輩達にも、私にも。
 静がちょっと拗ねているように見えるのは、リョーマの気のせいではない。
「そりゃあ……」
 桃城達はともかく。静は女の子で、彼女で。
 年は一つ下でも、男としてのプライドがリョーマにもある。
 頼るなんて絶対にやりたくないし、寧ろ頼られたいと常々思っている方だ。
 生真面目で一生懸命で、自分一人で何もかも背負い込もうとする静は、なかなかリョーマの思いに応えてはくれないけれど。
「それがちょっと寂しいなって。……たまには甘えて欲しいな、って思うの」
「ふーん……」
 思いも寄らぬところで彼女の心の声を聞いてしまって、リョーマは内心複雑な思いを抱えた。
 嬉しくないと言えば嘘になる。が、全面的に喜べるものでもない。
 頼って欲しい、甘えて欲しい――。
 ぶっきらぼうな事と年下だという事実も重なり、表では素直に出せずについつい意地悪な言葉を言ってしまうが、それが彼の本心だから。
 けど――。
 考え込み始めたリョーマの様子に、機嫌を損ねたと勘違いしたのか。
 静は慌てて手を振った。
「だ、だけど、リョーマくんは嫌だよね? だから気にしな――」
「別にいいよ」
「えっ?」
 気にしないで、と言う前に言葉を遮られ、静は返事にすぐ反応できなかった。
 そんな彼女を尻目に、彼は空中で止まっている手を取る。
「ほら、行くよ」
「え、な……ど、どこに?」
「そこの公園」
「ど、どうして?」  今日は真っ直ぐ家に帰る予定だったのに――。
 繋がれた手をぐいぐい引っ張られ、我に返るがまだ静は展開についていけない。
 頭に浮かんだ疑問を口にするのが精一杯だ。
 そうこうしている間にリョーマは公園に足を踏み入れ、静を近くのベンチに座らせてしまう。
「ねぇ、リョーマくん。何するの?」
 困惑が滲み出ているそれを聞き流しつつ、リョーマはさっさと揃えられた太ももに頭を置いた。
 学校指定の青色のスカートから出ているその足は白く、柔らかそうだと思っていたが、まさに予想通り。
 びくりと反応する身体によって、リョーマの上半身にも振動が伝わる。
「りょ、リョーマくん!」
 普段の彼からは予測できなかった突然の行動に、静が頭のてっぺんから出したかのような高い声を上げる。
 立ち上がってしまいそうになるも、彼の頭が乗っている為、迂闊に動けなくて。
 頭上でおろおろしている静の姿に、リョーマは思わず噴き出しそうになる。
「先輩、慌て過ぎ」
「だって! どうして、急にこんなこと……」
「俺を甘えさせてくれるんでしょ?」
「え? あ――」
「だったら、暫くじっとしてて」
 甘えて欲しい――さっき静が零した言葉を、リョーマは叶えようとしているのだ。
 まさか、こういう風に実現させられるとは静は思ってなかったんだろう。
 もしかしたら、もっと違う形での“甘えられ方”を考えていたのかもしれない。
「うん……」
 しかし、今となってはそんなものはどうでもよかった。
 こみ上げてくる嬉しさとこそばゆさに、静の心が震える。
 羞恥心やら此処がどこかだなんて、そんなものは吹っ飛んでしまった。
 彼女はゆっくり頷く。
「ありがとう、リョーマくん」
「……なんで先輩がお礼を言うわけ?」
「好きな人が甘えてくれるって……思ってたより、ずっとずっと嬉しいものだって教えてくれたから、かな」
 真っ赤な頬を緩めて静が微笑む。
 ――クールぶってるのは、甘えたいサイン。
 信じてる(かもしれない)桃城達には悪いが、自分には通じない。
 今までも、そしてこれからもきっと、彼らの前でそんな素振りなんて見せないだろう。
 けれど、静が願うなら。
「……ふーん。ま、先輩がそう言うならたまには……いいっスよ」
 受ける側と受けられる側が反対になるのも、時々だったら。
 そう、今のように甘いひと時をもたらしてくれるなら――悪くない。
 顔に乗せた帽子の下で、リョーマは小さく呟いた。

 *****

「越前が広瀬に膝枕されている場面を目撃できるとは……。ふむ、なかなかいいデータが取れた」
「ふっふーん。やっぱりおチビ、甘えたい年頃なんじゃーん」
「ホント、素直じゃないヤツっスよねー」
「クス……。僕は甘えて欲しいとか言われて、膝枕させる越前に驚いたよ」
「……うるさいっス。ってか乾先輩、何のデータっスか、それ」
 ――後日、東の覗き魔連中らに一部始終を見られていたと知り。
 そしてそのことをネタに、リョーマが散々からかわれることになるのは、また別のお話。

title by:寡黙