ぜんぶ、はじめて。

 彼を想って苦しくなったり、そっけない態度や時々見せてくれる優しさに一喜一憂したり。
 特別よく話す異性の友達も昔から仲の良い男の子もいなかった私は、ふわふわと浮かび上がるような、それでいてぐらぐらと揺れる心に戸惑うばかり。
「静先輩、」
「なあに、リョーマく……」
 お互いの名前を呼び合うだけで胸が高鳴る。手を繋ぐことだって、まだ慣れてなんかないのに。
 だからまさか、振り向いた先に彼の顔があるなんて、予想がつくわけもなくて。
 それでも自然と、私達は唇を合わせた。
「ん……っ」
 少し冷えたそれに体がびくりと反応する。やっぱり急だったから呼吸が上手に出来なくて、思わず声が出てしまった。
 触れるだけのキス――だったはずなのに、離れようとする私の肩を彼の手が掴んだ。
「ちょ、ちょっと待って……!」
 その手に驚いて思わず距離を置くと、相手は拗ねた表情でこちらを見つめていた。
「何?」
「ど、どうして、こんな……っ」
「ダメだった?」
「ダ、ダメ……っていうか……。その、突然だからびっくりして。それに……」
 動揺して口が上手く回らないままの私を、射抜くような視線が見つめてくる。
 その瞳の奥にいつもと違う何かが見えた気がして、心臓が私を急かすように暴れ出した。
 けれど、目の前には相変わらずのポーカーフェイスがあるだけ。
 下の名前で呼び合うようになったのも、手を繋いでくれたのも、そして……唇を触れ合わせた今だって、その度に違うドキドキを教えてくれたのは彼の方からだ。なのに、その当人はなんともないみたい。
 傍にいる時だっていっぱいいっぱいの私とはまるで正反対。
「リョーマくんが……」
「俺が?」
「……すごく、慣れてるみたいだったから」
 彼はこの前までアメリカにいた帰国子女だ。
 確かに外国では名前を呼び合うのが当たり前で、軽いスキンシップだって別に気にも止めないのかもしれない。
 キスも挨拶みたいなもので――。
 だけど頬と唇は少し、ううん。かなり意味合いもする機会だって違ってくるのに。
 一つ年下だけど、私よりも大人っぽい彼だから、もしかしてなんて考えると、きゅっと胸が締め付けられた。
 私の恋は全て彼が最初なのに、彼は違うかもしれない、なんて想像すると、とても悲しくて。
 されど私の耳に届いたのは、小さな呟きだった。
「……そんなわけないじゃん」
「……えっ?」
「俺だって……結構ドキドキしてる」
「うそ、」
「嘘じゃない。俺も、……先輩がはじめてだから」
「……本当?」
「うん」
「本当に本当?」
「先輩、疑り深い」
「だって……全然そんな風に見えないもの」
 それが正に事実ならすごくすごく嬉しいし、今は僅かながら、頬に朱みが差しているように見えるけど。
「じゃあ、確かめてみる?」
「え……?」
 床に置いている右手の上に、彼の左手を重ねられる。その、私よりも少し大きな温もりのたどたどしさが、彼の言葉を肯定してくれた。
(あっ……)
 自分の気持ちの変化を受け止めるだけで精一杯だったから、気付けなかった彼の可愛らしさ。小さな意地。
 普段はクールで、言葉数も少ない大人びた彼。その裏に隠された一片を見れたような気がして、思わず口元に笑みが零れる。
 彼への想いと愛しさが溢れ出して――もう一度、そこに触れてみたいと思った。
「……うん」
 誰かを想い、想われていく中で発見する、初めての感情や感覚。それに戸惑いを覚えることは、これからもきっと多いと思う。
 喧嘩も仲直りも恋人としての時間も、まだまだ未経験の私達。何もかもが初めてだらけ。
 だからこそ、ひとつひとつ大切にしていきたい。一緒に「はじめて」のドキドキを分け合いたいと願って――。
 さっきよりも速まる鼓動と柔らかい感触を長く感じながら、ゆっくり瞳を閉じた。