青の予感

本編中 / 喫茶店救済計画を立てる二人

「皆さん、お疲れ様です。どうですか、作業の方は?」
「ああ、広瀬さん。こちらは至って順調だよ。メニューに出す料理も大方決まって、今は内装について皆で話し合っていたところさ」
「でしたら、内装については午後の方に回して、これから休憩に入ったらどうでしょうか?」
「もうそんな時間か。そうするよ」
 ブースに唯一ある青学の喫茶店を訪れた静は、その中で作業に打ち込む彼らに声をかけた。
 作業状況をこの喫茶店を取り仕切っている乾に聞き終わると、彼女の言葉を受けて、彼らはいそいそと食堂へ足を運んでいく。
(喫茶店の作業状況は……っと)
 小さくなっていく背中を見送ったその部屋で、静は作業進行状況を手に持っていた書類の最後をめくって書き込んでいく。一、ニ枚目はこちらに来る前に見に行った綿菓子屋と金魚すくいについてびっしりと書き込まれていた。
 しかし最後の喫茶店については、なかなか筆が進まない。どのように言葉をまとめようか、静は迷っているようだ。
 乾が順調だとこぼしていた通り、見たところ何の問題もなさそうだが――彼女はそれに反して深い溜息を吐いた。
「本当、どうしたらいいんだろう……」
 乾に貰った未完成の――しかしほぼ完成しているようだ――メニュー表を見つめて、静が困惑した顔でボソリと呟く。
 実は他の二つと同じく、順調に進んでいるように見えるこの喫茶店は、厄介な問題を抱えていた。それは、彼女の視線の先にあるメニュー表に書かれた内容にある。
 表紙を開くと、そこに書かれている料理名は普通の喫茶店らしい。だが、よく見てみれば「おススメメニュー」という項目の下に、乾が作る特製ドリンクと不二の好物である辛味料理――その二つが大きく印刷されていた。
 静自身、その味を一度味わったから分かる。このままでは優勝を狙うどころか、喫茶店を最後までやれるかも不安である。
 と言っても、静にはどうすることもできずにいる。静はあくまでサポートするだけの身分である為、彼らを直接助けることは許されていないのだ。
 だが、学園祭の成功の為に派遣された実行委員だからこそ、見過ごすわけにもいかない。
「ううん、私が頑張らないと……!」
「何、一人でぶつぶつ言ってんの?」
「きゃあっ!?」
 言葉に出して、自らを奮起させていた彼女の背後から誰かが囁く。
 その聞き覚えのある声音に振り返ると、静の悲鳴に目を大きく見開きながら立っている人物が一名。
 喫茶店メンバーでテニス部レギュラーの最後の一人、越前リョーマだ。
「あ、越前くん! ……びっくりしちゃった」
「それはこっちのセリフっス」
「あはは、ごめんね。あれ、休憩はどうしたの?」
「後で行くっス。それより考え事してたみたいだけど」
「あ、うん。……これ、どうしたらいいかなって」
「……ああ、それ……」
 彼の問いに苦笑を漏らしつつ頷いて、悩みの種であるメニュー表を目の前に差し出すと、リョーマは途端に嫌そうな顔をした。
 その手に持つそれへの表情の中に彼の苦労を表しているのを感じ取り、そっと息を吐き出す。
 静とリョーマは特別仲が良いというわけではない。一学年離れていて接点もなかったし、何より、学園祭の打ち合わせのあの日が初対面だ。
 元々口数が少なく、この学園祭にも乗り気でなかった彼と話す機会はそう多くなかった。静が彼らの持ち場である喫茶店ブースに顔を出し、サポートをする時。又、昼寝している彼を見つけた彼女が起こしてあげたり、休憩時間が同じだった時に一言、二言話すだけだった(そして、会話が弾んだことはあまり無い)。
 そんな二人の会話が成り立ち始めたのは、傍若無人な先輩らに流されるままにメニューを決めた後のことだった。お先真っ暗な喫茶店の行く末を案じて、深い溜息を漏らしていた静に彼の方から声をかけたのだ。
 それは、自身が何も考えずに安易な提案を口走ってしまった罪悪感からだろうか。しかし、先輩である桃城に無理矢理こちらのメンバーに入らされてたのだから、リョーマの発言が発端と言っても充分に彼も被害者であるのだが。
 ――とにかく、このままでは喫茶店の未来が危ういと流石に危機感を持ったのだろう。だが、先輩達に意見しても変わらないと悟り、同じように悩んでいる自分を頼ってきたのではないか。静はそう推測している。
「乾先輩達、本気みたいだね……」
「変な方向にやる気出してるみたいだけどね」
「うーん……やっぱり先輩だから、意見は立てないといけないんだけど……」
「流石に、これはやり過ぎっしょ」
「あはは……そう、だよね……」
 かと言って、彼らに真正面から意見できる人はこの中にはいなかった。
 三年生はあの二人のみで、残りのメンバーはリョーマを含める二年生と一年生で構成されている。
 頼りの部長・副部長両名は揃って綿菓子屋メンバーだ。彼らも自分の持ち場でいっぱいだというのに、これ以上負担を増やす事はできない。
 と、なると……。
「先輩、頼りにしてるっスよ」
「え。えぇっ……!?」
 不意にニヤリと口元を上げて、リョーマは静に微笑む。突然自分に振られた彼女は、当然戸惑った。
「私?! む、無理だよ!」
「さっき『私が頑張らないと』って言ってたのは嘘?」
「そ、そうじゃないけど……」
 確かに自分にできる範囲のことなら精一杯手伝おうと考えていたが、それ以上のことは己が口出ししていいことではないとも思う。
 そしてあの独壇場に立ち向かっていくならば、それに対抗できる術を持ち合わせていかないとあっという間にやられてしまう。
「大丈夫だって、先輩なら。俺も協力するし」
「え……?」
「俺が言い出したことだし。先輩に助けを求めたのもこっちっスからね」
 けれども、喫茶店存亡の危機なのだ。学園祭に訪れる人達の為にも、誰かが彼らの無茶ぶりを阻止せねばならない。
 それに一人ではない。こうして目の前に手を差し伸べてくれる人もいる。自分が彼を助けてあげられるなら。
「ありがとう。……じゃあ、そうだね。今日の夕方空いてるかな?」
「空いてるけど……」
「では、本日の夕方に第一回・喫茶店救出作戦会議を開きましょう」
「作戦会議?」
「作業状況を見ているとは言え、私はやっぱり実行委員の身分だから詳しいことは分からないし」
「それは俺も同じぐらいだと思うけど」
「けれど、先輩達に近い立場である越前くんの方が知っていることが多いと思うの。いざ先輩達に意見する時に、あの人達と対等に話し合えないと」
 覚悟を決めるや否や、早速思案顔で考え込む。そして、これからの方針の考えをまとめると、彼に提案する。
 うってかわった彼女の表情に、リョーマは目を見開くもそれは一瞬で、すぐ口元に笑みを浮かべた。
(へぇ……、意外とやるじゃん)
 正直なところ、リョーマが彼女にSOSを発信したは良いが、あまり期待はしていなかった。なら何故、という疑問に対する答えは静の予想通り、彼女以外の誰も頼りにできないから。
 自分が蒔いてしまった為、彼らの自由にさせるわけもいかず――そんなことをしてみたら、自分の身に危険が及ぶ可能性も高い。
 もっともらしいことを述べているが、彼が動かざるを得なかった最大の理由がそれだ。
 が、これはいい意味で予想外である。真面目だけれどおっとりしているこの先輩は、柔らかな雰囲気からは想像出来ないほどなかなかどうして優秀であり、動きの早さだけでなく、頭の回転も乾並に回るらしい。どうやら、彼女への評価や態度を改めるべきだろう。
「料理のこととか、少しだけど力になれると思うの。私だって頼りないところあるけど……でも絶対、一人より二人で知恵を出し合った方が、よりいい案が浮かぶと思うんだけど……どうかな?」
 そう言って静がにっこり微笑むと、リョーマは考えるように視線を彷徨わせたが、すぐに前に立つ静を見つめて口を開いた。
「……いいっスよ。じゃ、そういうことで。よろしく、広瀬先輩」
「うん、よろしくね! 越前くん」
 ――こうして始まった彼らの学園祭の成功の為の奮闘記は、やがて一年生ルーキーと未来の敏腕マネージャーの恋愛物語へと発展していくのだが……それはまた別のお話である。

title by:アリスの夢