Endure the kiss

「……リョーマくんって……キスの練習、してたりするの?」
 久々の愛しい人との逢瀬にキスは付き物である。会えなかった寂しさを、遠い距離だからこそ募らせていた想いを、言葉で語ろうとすればあまりにも時間は短くて、だから代わりに唇を求め合う。体温で、舌で、心が震えるほどの喜びと切なさを伝えようとする。それは理屈ではなく、本能のままに。
「……は?」
 そんな濃厚なキスを交わした直後。瞳を潤ませてなんとも扇情的な表情でこちらを見つめる恋人が、しかしそれに似つかわしくない質問を放ってきたので、越前リョーマは呆気に取られてしまった。
(何を急に言い出すんだろ、この人)
 と思ったが口には出さず、代わりに「なんで?」と短く問い返すだけに留まった。
 約二ヶ月ぶりの逢瀬と口付け。おまけに場所は恋人が一人で暮らす部屋。男としてのスイッチがオンにならないわけがない。さてこれから会えなかった分愛し合おうと思っていたのだが、まさかその相手に出鼻を挫かれるとは予想していなかった。
 リョーマの恋人である広瀬静は、真面目で勤勉な性格の女の子だ。大人しそうに見えるがその実、自分の意見をはっきり言える強さも兼ね備えている。
 だが時々、読めない行動をすることがある。まさしく今のような状況で、脈絡のないようなことを聞いてきたりするのだ。
 空気が読めないわけではない。相手の心情を察することができないわけでもない。寧ろそれらの能力に関しては、静はかなり高い方だろう。
 いつも誰かを気遣い、案じている静。例えばリョーマが突然明日アメリカに行くと告げても、何の文句も言わずに送り出してくれる。
 思えば突発的な行動に出るのは自分も同じではないか、と今更ながら気付く。それに比べれば、静がぶつけてくる疑問なんて可愛らしいものだ。
 昂っていた気を、姿勢を正して一旦落ち着かせる。
「だって会う度にキスが上手になってる、から……」
「そう?」
「……うん。絶対上手になってる」
 すると静も一度座り直し、少し恥ずかしそうにもじもじしながらも、そう思い至った理由を語ってくれる。心なしかちょっと拗ねた表情だ。色っぽいのに子供っぽさが抜けていないというギャップには、思わずキスを贈りたくなってしまう。
 いやいや煩悩よ、鎮まれ。と自身に言い聞かせながら、リョーマは静への返答を考える。
 しかし正直なところ、全く心当たりがない。静に気持ちを伝えたくて、可愛い顔を見たくて、そして愛する人とのキスは何よりも気持ち良いから、ただ無我夢中で口づけを交わしているだけである。強いて言うなら、ガツガツし過ぎないだとか、歯が当たらないようにするだとか、そういったことに気を付けているぐらいだろうか。
 というか、キスの練習って何をどうするというのか。一人でできるものなのか?
 ――そこでふと、ある可能性が浮上してきた。もしもそうならば、看過できない、してはならない大問題である。
「言っとくけど、俺、静としかキスしてないよ。っていうか、あっち行ってもテニスしかしてないし」
 浮気の疑惑を真っ向から否定する。真っ直ぐに静の目を見て、しっかりと、簡潔に伝えた。
 何故ならリョーマの心は出逢った頃からずっと静だけしか見ていない。他の誰かに現を抜かすなんてこと、天地がひっくり返っても有り得ない。リョーマの世界の大元は、飽くなきテニスへの探求心と尽きることない静への想いで構成されている。それは過言ではなく、誰がなんと言ったって事実なのだ。
「え…………あっ!? 違うの、そういうことを疑ってるわけじゃないの!」
「なら良いんだけど」
 静は一瞬きょとんとしたが意味を理解した途端、大きく首を振ってみせた。その表情の変化から、そういったことは微塵も考えていなかったらしい。信頼してくれていること、不安にさせていたわけではないことを知れて、ひとまず胸を撫で下ろす。
「気を悪くさせちゃったならごめんなさい」と静は頭を下げた後、おずおずと先程の続きを話し始めた。
「ただ……ちょっと、悔しいなって思っただけなの」
「悔しい?」
「……だってリョーマくんとキスをしている回数は同じはずなのに、いつもリョーマくんにリードされて、翻弄されてるんだもの。……私の方が年上なのに」
 むぅぅ、と頬を膨らませながら、そっぽを向く静。ここでようやっと合点がいったリョーマは、しかし思わず笑ってしまいそうになった。ただし笑い声を出すと最後、きっと不機嫌になってしまうだろうからなんとか堪える。
「つまり静は、俺をリードして翻弄したいんだ?」
「……っ!」
 リョーマなりの解釈で要約してみせると、静は頬を真っ赤に染めて俯いた。否定の言葉を口にしないということは、それ即ち図星ということである。
 ――あぁ、もう本当に可愛くて仕方ない。
「だったら俺で練習したら」
「えっ!? いっ、今から……?」
「そう。今、すぐ。善は急げって言うじゃん」
「た、確かに言うけど……でも、でもっ!」
「ふーん? じゃあ今日も俺にリードされっぱなしになってもいいんだ?」
「~~っ!」
 戸惑いを滲ませる声を気に留めることなく、軽く目を瞑る。それでも決心がつかなさそうだったので、リョーマは笑いながら挑発してみせた。静はこう見えて意外と負けず嫌いなのだ。
 すればリョーマの思惑通り、静は決意したらしい。肩に両手が置かれ、視界がいよいよ暗くなった。やがて、ちゅ、と触れるだけのキスが何度も降ってくる。だが、一向にリードしてくれそうなキスをされる気配はない。
 それがすごくもどかしくて、抑えていた昂りがふつふつと沸き立ってきてしまいそうだ。思わず細い腰に手を伸ばしかけると、ゆっくりと剥がされてしまう。
「……ダメ。じっとしてて」
 自分から提案してはみたものの、そのお願いに最後まで従えるかどうか、早速自信がなくなってきたリョーマだった。